● 歴史上、敵の「残虐行為」を知らしめることは戦術のひとつ
敵が身の毛もよだつような残忍なことをしていれば、最前線の兵士たちは「聖戦」を掲げて士気は上がる。また、国際的な批判にさらして孤立させることができるからだ。その典型的なケースが、第一次大戦中にイギリスの情報機関が仕掛けたと言われる、ドイツの「死体工場」である。前出の「とてつもない嘘の世界史」から引用させていただく。
<詳細がつねに変わっても、基本の話はつねに同じだった。ドイツ人が死体を束ねて前線から戻り、死体を工場に運び、そこで死体を加工して煮詰め、石鹸、火薬、肥料などさまざまな種類の製品にした。この工場には「偉大なる死体搾取施設」という名称さえあったことが、「タイムズ」紙の記事に書かれた>
昔の人はピュアだから、そういうデマを簡単に信じちゃったんだなと思う人もいるだろうが、実はこの手法は現代でもそのまま通用することがわかっている。それがほんの30年前にあった「ナイラ証言」である。
イラクがクウェートに侵攻した1990年、ナイラという少女がアメリカの議会で、イラク軍兵士が新生児を死に至らしめていると涙ながらに証言した。この衝撃的な告発によって、国際社会は今のロシアに対するそれのように、「イラクに制裁を」の大合唱となり、多国籍軍が派遣され、湾岸戦争へと突入していく。
しかし、程なくして「ナイラ」などという少女が存在しないことが判明する。クウェートから業務として、アメリカ国内の反イラク感情を喚起させるように請け負った世界的PR会社ヒル・アンド・ノウルトンによる「仕込み」だったのである。
● 両国が「戦争プロパガンダ」を駆使していることに気づいているか
このいわゆる「戦争プロパガンダ」というのは、湾岸戦争以降の戦争や国際紛争でもたびたび確認されている。アメリカの「大量破壊兵器」の捏造もそのひとつだ。
大砲から航空機、そして原爆から無人ドローンという感じで戦争のツールはどんどん進化しているが、戦争というものの悲惨さ、醜さの本質は変わらない。それと同じで、「戦争プロパガンダ」の本質は昔から何も変わっていない。
ベルギーの歴史学者アンヌ・モレリはあらゆる戦争に共通するプロパガンダを解明するとして、「戦争プロパガンダ10の法則」(草思社)で以下のようにまとめている。
1.「われわれは戦争をしたくない」
2.「しかし敵が一方的に戦争を望んだ」
3.「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
4.「われわれは領土や覇権のためではなく偉大な使命のために戦う」
5.「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
6.「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
7.「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
8.「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
9.「われわれの大義は神聖なものである」
10.「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
いかがだろう。プーチン大統領やゼレンスキー大統領が国際社会や自国民に対して発しているメッセージと怖いほど重なってこないか。
近年起きた戦争や国際紛争の指導者たちの発言を見ても同じことがいえる。もっとさかのぼれば、大日本帝国のリーダーたちも同じようなことを言っていた。
今、ウクライナやロシアがSNSを用いて互いに情報戦を仕掛けているというが、ツールが最新になっているだけで、その内容は「10の法則」に合致するものばかりだ。
どちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではない。ましてや、ブチャで起きた惨劇が「戦争プロパガンダ」だなどと主張したいわけでもない。
どんな国でも戦争というものに突入して、そこで勝つためにはこのようなプロパガンダを駆使しており、そこでは時にフェイクニュースも平気で垂れ流しているという醜悪な現実がある。そういう「情報戦」に日本人があまりにも無防備ではないか、ということを指摘したいだけだ。
「情報戦」に無防備ということは、簡単に他国のプロパガンダに踊らされてしまう「お人よし」な部分があるということでもある。
これまで見たように、欧米では戦争中にうそをつくのが当たり前で、今はプーチンをぶっ潰すような威勢のいいことを言っているが、自分たちの国が損をしそうになれば、あっさりと前言を翻してロシアと手打ちにすることだってあり得る。
気がついたら、「アジアのリーダー」なんておだてられて、西側諸国に忠犬のようにくっついていて日本だけがバカを見るなんてこともなくはない。
いい加減そろそろ、「アメリカ様にくっついていれば日本は安全」みたいな「平和ボケ」から脱却すべきではないか。
(ノンフィクションライター 窪田順生)