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カテゴリ:日替わり日記
地元伊那市で行われた小平奈緒の講演会に参加してきた。 ぼくは、五輪で“功成り名なりを挙げた”アスリートというだけであったなら参加することはなかっただろうが、ときおり耳目にする小平奈緒に注目していた。 つい最近も、「札幌五輪」招致委員就任を断っている。利権・金権まみれのIOCやJOCに利用されたくない、という意思が見てとれた。 招いた商工会議所青年部に息子が加わっていたり、地元の高校出身という縁も多少はあったが、彼女の言葉が気になっていたこともあり、わが施設のメンバー等を連れて最前列に近い席で拝聴した。 驚いたのは、小平奈緒のキュートで柔和な素顔だ。テレビなどで拝見しているように彼女は、アスリート哲学者と称されるキリッとした理知的な表情をイメージしていたが、いや、実に美しく優しく魅力的な人である。 トップアスリートという鎧を脱ぎ捨て、一個人としての姿に立ち戻ったせいであろうか。 そして、さらに驚かされたのは月並みを離れた、珠玉の言葉の数々である。 よくみかける、スポーツの有名選手につきものの「勇気や希望、感動を与えたい」「勇気や感動をありがとう」といった判で押したような言葉の陳腐さにぼくは白ける。多少はそれに近い講演内容になるかも知れないと予想していた。 ところが講演のなかで、彼女は「勇気や希望、感動は、一方的に与えたり与えられるものではない」と言う。それらは(真剣に)勇気(覚悟)を求める者に訪れるものである、という主旨のことを述べていた。 これは、平壌五輪の後彼女に、某首相が「多くの国民に熱い感動と勇気を与えた」と平板な言葉で述べたことへの回答ともとれた。 また、自分自身を磨くなかで悟りに似た心境から発した「成績やメダルは目標であって、目的ではない」など、含蓄のある言葉や生き方に一々頷かれさせられた。 そんな含蓄のある言葉や生き方を紹介しながら、伊那での生活や親しみのあるエピソードや、自分が、高校、大学と成績を上げ注目されてゆくごとに、親しい友人が去ってゆく寂しさや孤独感に駆られたことなども素直に語っていたことにも、好感をもった。 講演中に語られる言葉のすべてを正確に聴き取ることはできなかったが、その幾つかを紹介すると、おおよそ次のようなことが散りばめられていたように思う。 ・与えられるモノは有限、求めるモノは無限。 ・そこに「ない」から、手に入れるための手段や方法、時間をつくる。そういう環境に身を置いていること自体が、創造の一部。 ・「上には上がいる」「先には先がある」と思えば、何が足りないか、何が強みなのか冷静に判断できる。 などなど、ここだけでは紹介しきれないほど奈緒語録が散りばめられている。 そのなかで、人生について語ったことが特に印象深かった。 「自分の時間は自分の宝物」、当たり前ではないかと思うかも知れない。しかし、自分の時間を自分の宝として過ごしている人がどれほどいるのだろうか。彼女は、常に意識していると感じた。 そして以前にインタビューで彼女が述べていたものだが、好きな言葉として 「明日死ぬかのように生きろ。 永遠に生きるがごとく学べ。」 この言葉は、インドの生んだ偉人、マハトマ・ガンディーの言葉です。 余談ながら、ぼくの所属する読書会では、2月26日PM4:00に伊那図書館で、ガンディーの『わが非暴力の闘い』をテーマに行います。ご希望の方はどうぞご参加を! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.02.19 19:56:54
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