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今日は、地獄だった。「阿鼻叫喚」28年近く生きてきてこの言葉をこれほどまでに感じた日はないだろう。
といっても、我が泰成塾の話ではなく、隣でやっているバレーボールの話。 1時間ほど遅れていって、準備運動をしていたらうめき声と言うか、泣き声というかそんな感じの声と言うか音が体育館にこだましていた。 例えるなら、幽霊や怨霊が呻きながら飛び交う墓地と言う感じ。 その原因は、バレーの男の子たちが足上げ腹筋をやらされ続けて、辛くて足を下げようと思っても、足で掬い上げられながら強制的に30分くらいいやもっと長かったかもしれないほどやらされている。 ある意味拷問といっても、良いほどである。皆泣きながら、呻き声を上げながら耐えてやっている。 うちの塾の子供は正直温室育ちで甘いと思うが、隣はある意味対極で、やりすぎだと感じる。 体育館の壇上ではお母さんたちが談笑しながら見ている。僕個人の意見だが、自分の子供が泣き叫びながら意味もないことをさせられているのを平気で見てられるような親はどこかおかしいんじゃないかと思う。 子供はそれで良いと感じているものばかりとも限らないし、その横で練習をしている女の子にも、隣で友達が泣き叫ぶ中で練習を強いると言うのは精神衛生上良くないのではないだろうか? 親たちも指導者もそれにといて問題を感じていないらしい。教育方針やバレー教室の指導方針もあるだろうから、どうこう言える立場ではないが、ああいう状況で普通だと言えるのはやはり感覚が麻痺しているとしか思えない。 オウム真理教の信者も麻原のやった事は間違ってないと信じているだろうが、法治国家では・常識の判断では異常だとされているわけだし。 ある意味それに似たものがあると思う。 僕的には、あの場にいた保護者は、イラクの収容所でイラク人捕虜を裸にしてリンチを加えて笑顔で写真を撮っていた女性兵士に通じるものすら感じる。 普段、良識ある人間・子を持つ母として、泣き叫ぶ子供を見て、しかもそれが自分の子であるときに、平然と見てられるのはちょっと違うんじゃないかなと思う。 まだ自分で判断する能力も判断したとしてもそれを親の庇護なしでは成し得ない、生活すら出来ないような、子供に対して、親の意向でバレーを上手くしたい、とのいってみれば親の我がままで、子供にあそこまでさせて良いのだろうか? 子供が自発的にバレーを志、強くなるためにその指導体制を自ら選び身を置き、進んで苦痛を受け入れるのなら、わからなくもないが、理解できない。 塾長が見かねて、話しに行ったらしいが、親御さんにそれで皆納得しているので部外者にとやかく言われるのは困ると言われたらしい。 正直勘違いしていると思う、仮に子供が全て納得づくであったとしても、そんな阿鼻叫喚の空気を隣で他団体も共有している体育館で作り出すこと自体、どうかしているだろう。 自分たちの団体は良いだろうが、怒る声とか、大きな気合の声とか、スポーツにつき物の音や大声ならまだしも、子供が泣き叫ぶ状況を他者と共有のスペースで平気で行う。隣の団体の身になって考えて欲しいものだ。 普通の神経の人間だったら、子供が泣き叫ぶ状況の中で平然としていられないと思うのですが、ああいう人たちには分からないんだろうなあ。 そういえばロンドンのテロは心が痛む。オリンピックが理由なのかなあ?スポーツは平和に楽しむもので、それを理由に争いや残酷な事が行われる事は悲しいと思う。 最後に、イギリスと言えば、ピアノマンの正体は誰だったんだろう?誰かご存じないでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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