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「僕、日本人になります」
悩み続けた青年がひとつの答えを出した。セルヒオ・エスクデロが来年1月に日本への帰化申請をすることになった。申請が下りる時期は未定だが、来年中にも日本人「セルヒオ・エスクデロ」が誕生しそうだ。決断までには大きな悩みがあった。ヨーロッパでのプレーを夢見る彼にとってはスペイン国籍を持つ事は大きな武器。しかし、スペイン国籍をあえて捨て、日本人になることを決意した。 「小さい頃からレッズが好きだし、日本が好きだし。ここまで僕は成長することができた」 18歳のエスクデロは胸を張った。 3歳から8歳まで浦和で育ったエスクデロ。駒場で浦和レッズの試合を見て育った。幼いエスクデロのヒーローは野人・岡野雅行。「同じピッチに早く立ちたい」そう夢見ていた。その後、アルゼンチンへ帰国したエスクデロは世界一にも輝いたべレス・サレスフィエルドに所属。U-15アルゼンチン代表候補にも選ばれた。順風満帆だった。しかし、父の一言が大きく狂わせた。「2ヶ月後に日本に行くぞ」。この言葉に従うしかなかった。 エスクデロは全てを捨てて、再び日本の地を踏んだ。はじめは戸惑いの連続だった。芝のグラウンドから土のグラウンド。”こんな所じゃできない”と思った。ロッカールームにシャワーすらなかった。ポジションも今までやった事のないボランチをやらされ”やっていられない”とやる気を失った。しかも日本語もうまく通じない。不安と苛立ちの日々に、時に日本行きを決めた父親を恨むことさえあった。しかし、今となっては「あの時の経験が今の自分を作っている」とエスクデロは振り返る。 エスクデロの当面の目標は来年2007年に開催される『FIFAU-20ワールドカップ』で日本代表として出ること。 「この大会に出て自分の力を試したいし、その自信もある」と話すが、最大の障害は帰化申請。日本語の理解度などの適応検査は問題ない。しかし帰化手続きのため、書類や資料が必要。当然、時間はかかる。スペインで生まれ、アルゼンチン、日本で育ったエスクデロ。 「今年のオフはスペインとアルゼンチンで資料集めとなりそうです」と語った。 「修三さん(中村GM)たちも喜んでいる。自分をトップに上げてくれ心から感謝している。プレーで『ありがとう』と言いたい」と恩返しは忘れない。 そして、この選手も喜んでいる。同じ帰化を経験した闘莉王。 「(エスクデロは)力を持っている。僕に出来ることがあれば、力になりたい。日本人にはない馬力がある。あと細かい部分を修正すれば、かなり出来るはず」とエールを送った。 今年はケガに泣かされたエスクデロ。「捲土重来」の4文字を胸に大きな一歩を踏み出した。 レッズプレスからです。 ついに帰化しますかー。 良かったです。あの直線的・力強いドリブルはこれからのレッズを背負うものです。 早く決まって、ぜひU-20W杯に出て欲しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.12.08 20:27:12
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