財前五郎カッコよかった/深夜の電話 えっ!娘が友達を蹴った?
白い巨塔の最終回、財前の死に様、見届けました。自ら信じる道を生き切った財前。純粋で真っ直ぐ過ぎた男の生き様だったと思います。才能に溢れ、強い意志を持つ故に、彼は病に倒れるまで自らの苦悩を決して人には見せませんでした。妻はもちろん、母親や愛人のケイ子にさえも。彼は本来純粋であり、その目的は崇高であったと思います。しかし、彼は自分で言っていましたが、目的のために手段を選ばないところがあり、そのことが彼を却ってその目的から遠ざけ、苦悩を深める結果になったと思います。Amazing Grace の歌詞にある次の一節I once was lost,but now I'm found;Was blind,but now I see.一度は道を見失ったが、今また自らを見出した。眼が見えなくなっていたが、今は見える。これこそ財前の心の叫びと思っていつも聞いていました。彼は本当の自分の心が求めている目的が分からなくなっていたのだと思います。それに気づいて生き方を変えるチャンス(=一般的にはピンチ)はたくさんありましたが、彼は有能過ぎてそのピンチをことごとく切り抜けてしまい、ああした結果を招いていしまいました。しかし、彼の生き方が間違っていたとは思いません。また、彼の死が無意味であるとも思いません。彼の生き様、思い、目指したものは、里見や柳原、周囲の人々に受け継がれ、きっと生き続けていくからです。私は彼と同じ道は選びませんが、彼の生き方には深い共感を覚えました。財前五郎に、本当ににごくろうさまでしたと言いたい。******************************昨夜12時ごろ電話が鳴り、何事かと思いながら出てみると、長女の同級生である女の子のお父さんでした。用件は、昨日うちの娘が相手のお嬢さんを蹴り、泣いて帰ってきたとのこと。先方のお母さんに代わってもらい、状況を聞き、本人に確認することを約束して電話を切りました。突然のことでもあり、ちょっとショックでした。そのお友達は家が近所で一緒に集団下校しているのですが、その途中での出来事のようです。今日、娘に聞いてみると、とくにケンカしたわけでもなく、どうやらただ単に悪ふざけが過ぎたみたいです。子供のやんちゃの範囲だったようで少しホッとしました。とはいえ、相手の子が帰ってから泣いていたこと、ご両親が悲しんでいたこと、私や妻も悲しいことをよく言い聞かせました。ただ、この出来事にはもう一つ背景があると思っています。それはいつも女の子3人で集団下校しているのですが、うちの娘そのともう一人がとても仲がよく、今回のその相手がどうしてもあぶれてしまうらしいのです。本来であれば、別々に帰ればよさそうなものですが、物騒な世の中ですので、集団下校が義務付けられています。前にも、仲のいい二人がしゃべりまくってだらだら歩いているので、痺れを切らしたもう一人が先に帰ってしまうということが続きました。その時はその子を仲間に入れてあげて一緒に帰るように言い聞かせたのですが、人の好き嫌いという気持ちは言葉で変えられないし、なんとかうまくやって欲しいという気持ちでした。自分達が望むわけでもないのに無理に一緒にいさせられる子供たちも、お互いに人間関係のストレスがたまるのかもしれません。自分のことならば対処の仕様もありますが、子供のことはまず事実がよく分からない。そして、言い聞かせても、こちらの思うとおりに行動してくれるとは限りません。隔靴掻痒の感があります。人間関係の課題としては難易度が高くやりがいがあるなぁという思いもありますが、そんなこと言ってる場合でもないので、いま子供達のためにできることをすべてやろうと思っています。