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カテゴリ:フーテン日記
僕の絵が汚れている理由。
僕は新しい物に魅力を感じます。きれいな物も素敵だなって思うのね。新しく買ったiPodの箱は奇麗で、ホコリ1つ付いてない液晶モニターの保護フイルム。ず~と、このままだったら良いのになぁ。そうは思うんだけど、やっぱり音楽プレイヤーだから箱から出して、指紋をベタベタ付けながら音楽を奏でてもらわないと困るんだ。 永遠には続かない美しさ。時間の劣化により色あせていく世界。ホコリをかぶり、紫外線を浴びて古びて行く道具。永遠には続かないであろう僕の命と体。 新しいものや汚れていな物は、ほとんどの場合100人が100人居れば、みんなが共通して美しさを感じると思うのね。そうだとするなら、色あせ古びた物がマイナスかと云われるとそうではないと思うんだ。 使い込んで汚れて色あせて、時間の経過と共に劣化しながらハードディスク削り僕に音楽を奏でてくれるiPodは、新品とはまた違った美しさだったり魅力があるはずたと思うから、僕は新品にも多少魅了されたりもするけれど、なるだけ色あせ古びたものを肯定することにしているんだ。 ある意味で僕はそれに歴史だとか想いを感じるんだ。想像出来るから。シミだったりカスレだったり。 僕が生きて行く中で、うわべだとか着飾ったことが多くあります。もちろん僕も嘘をついたり、うわべだけのオベンチャラを云ったりする時もあります。それは時に人に気に入られたいから良く思われたいから嫌われたくないからだったりね。 良いところは沢山あるんだ。悪いところも沢山あるんだ。 見ようと思わなければ見ないで済むことも多くあるの。壊れたら捨てて、新しいiPod。 でも、それだったら本当のコトが見えない気がして。新しいのに変えれば傷も無くなって手垢も消えて快適に音楽が聴けるんだけど、それをしてしまうと僕は僕を否定してしまうことになるんだ。 老いさらばえて、死に行く僕の命。それと引き換えに生まれて行く新しい命。新しいiPodを肯定することによって僕は僕の命を否定してることになる。だから僕は新しいものより自分の使い込んだ物に執着してしまうんだ。(新しいものを否定してるんじゃなくて古い物に固執してしまう理由) その愛着だったり使い込んだり、時間の経過で思いの詰まった事柄を表す手段として僕は僕の絵を汚します。馴染みのお店。行きつけの場所。ずいぶん慣れ親しんだ道具。生まれ育った街。大切だった仲間。 それも全部なくなるから。永遠ではないから。最初は奇麗で。でもケンカして傷ついて汚れて光る本当のコトがそこにあると思うから僕は僕の絵を汚すんだ。 僕も汚れていて。 世界も汚れていて。 絵も汚れていて。 でも、どれもこれも、いい奴なんだと思うの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.07 02:30:10
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