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カテゴリ:1コマ日記。
高等遊民(こうとうゆうみん) 夏目漱石 "こころ"を呼んでみたんだけれど、思う所は、もちろん当然以上にあったんだけれど、取り合えず気になったのは、高等遊民と云うコトバと存在。 高等遊民はなんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めていたりした。 ※参照 wikipedia 罪と罰、エゴイズム、などをテーマにしたと思われる本作、何故?労働という存在を排除して、この物語は語られたのだろう?それがとても、僕の中で引っかかってしかたないのです。僕にとっての生とは、密接に労働というものが存在しているので、その点がとても、実感が湧かないのかもしれません。 結局は僕の思考が俗っぽいのだろうか?大衆文化と遊離したインテリジェンスな思考が必要なのだろうか? ちなみに太宰治の人間失格 斜陽 等々、とてもセンセーショナルだったから、僕の中である部分に置いてはファンタジーで片付けられたんだけれど、夏目漱石の"こころ"に関しては、どうしても自分に当てはめて考えたくなるんだ。当てはめたいのに、肝心の労働がはぶかれているから、どの様に解釈するか捉えきれていなんだと思う。 答えはまだ出ないけど、とても興味深いです。 僕は割と断片的に行きているから、もう少し物語を背をって生きてみたら、見える景色が変わるのかなってね。思ったら、ちょっとワクワクします。 (ポチッとな) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.10.25 03:03:44
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