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カテゴリ:雑談
ジャズがコード(和音)から自由を獲得した経緯を説明するためには、ここで否が応でも、ハイが長嶋だろうとアドリブのルールを説明せねばなるまい。
コードとはご存知のとおり、ドミソの音をいちどきに鳴らすアレである。じゃ〜ん、だ。で、曲にはコード進行というのがあって、ギターの楽譜のように、C Am F G7 とか和音が変化していく。メロディを崩していったり、アドリブで新しいフレーズを作る時は、その変化していくコードの構成音(Cならドとミとソ)を鳴らすと伴奏の音と不協和音にならないから心地よく聞こえる。 まあ、決められたトラックの中を周回しながら戦う日米対抗ローラーゲームにおける東京ボンバーズの佐々木ヨーコのようなものといえばわかりやすいだろう(わからんて)。 ちなみに佐々木ヨーコは梶芽衣子であったとか、後の浅野温子であるとか、大陸に渡ってチンギスハーンになったとかとの説もあるが、ここでは触れない。 さて、アドリブでコード音だけ鳴らしていればいいかというと、そうはイカの塩辛、天地茂の眉間のシワなわけで、それではリチャードクレイダーマンみたいなメロディしか出てこない。そこで経過音とかブルーノートなどを駆使するわけだが、ここから先は専門家の解説に任せるとする。興味のある方はぜひヤマハ音楽教室の門を叩いてもらいたい。言っておくが、決して面倒になったわけではない。 閑話休題…。 ここに1人のラッパ吹きがいた。彼は常日頃、従来のアドリブフレーズに限界を感じていた。何か新しいことがしたい…。ある晩いつものようにセッションに参加しアドリブフレーズを追いかけていた時、考えに熱中するあまり本来あるべきでないフレーズを吹いてしまう。一瞬会場に緊張が走る。ざわめく客席。「おい、間違えたぞ」「下手なんじゃね?」メンバーもいっせいに彼の顔を見る。 しかし、ここで「しまった」という顔を見せることはジャズメンとしては致命的であり、市中引き回しの上張り付け獄門は免れない。彼は何食わぬ顔でもう一度まったくあり得ない音を奏でる。そして上目使いに客席を睨むとこう呟いた。「So what?」(それがどうした?) 「クール!」誰かが呟く。「クール!」「クール!」ざわめきが拡がる。次に彼が音を外した時ピアノが付いてきた。コードごと外しにきた。それでいてペットのフレーズとは緊張感のある協和音を響かせる。次にはベースが合流する。やがてコード進行という堤防を決壊した音の奔流はとどまることを知らず、朝ぼらけの中をどこまでもトリップして行くのであった。 一方その頃、いまだ岐阜城で足留めを食らっていた木下藤吉郎は、ジャズがコードから解放されたことなど知る由もなかった…。 次回、「疾風怒濤のインナートリップ。私は神を見た!の巻」をお楽しみに! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.06.04 17:10:09
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