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カテゴリ:雑談
「牛追いの図」というのをご存知だろうか?仏教、特に禅における「悟り」というものを、童が山に牛を探しに行く過程に見たてて何枚かの掛け軸にしたものだ。どういうことかというと、
1.牛を探しに行く決心をする 2.山に分けいる 3.牛の後ろ姿が見える 4.牛を捕まえる 5.牛の背にまたがり村へと帰る 6.牛のことは忘れ、いつもの暮らしに戻る お分かりだろう。言うまでもなく牛が「悟り」である。僕がこの話を大好きな理由は、最後に牛のことをすっかり忘れてもとの生活に戻るからだ。そして、ここに1人のジャズメンがいた…。 彼の名前はジョン。テナーサックスを吹いている。ジャズを志した彼は、ぶっきらぼうで骸骨のような顔をしたラッパ吹きの下で日々修行に励んでいた。彼の師匠はコードを超える理論「モード」を手にいれていた。ジョンはそのモードを我がものとするため夜毎、師匠と共にプレイを続けていた。 3丁先のクラブでプレイしていた同じくテナープレイヤー、ソニーの破天荒でインスピレーションに飛んだプレイとは対象的に、ジョンのそれは内省的で理論に忠実に音を辿りながら何かを模索し続ける、まさに修行の名にふさわしい音を紡ぎ出していた。それはまるで数珠の一珠一珠のように紡ぎだされる。呪詛のように繰り出される音の一粒一粒は、あるいは祈りのようでさえあった。 ある日師匠が言った。「そろそろ独立したらええんちゃうん?たいがいのことは教えたで。」ジョンは答えた。「ほんまでっか?ほなら、そうさせてもらいますわ」ジョンは自分のバンドを持つこととなった。最後に師匠がジョンに授けた言葉は「フォースはいつでもあんさんと一緒やで」その言葉がいかに未来を予言していたか、その時の2人は知る由もなかった。 その日は独立して初めてのステージだった。ジョンはやや緊張しながらもこれから始まる旅の期待に胸を膨らましていた。ベースのソロから始まる。ぶーんぶーん、ぶーんぶーん。次にドラムだ。だぱんどとん、だぱんどとと、だぱんどとん、だんとだーん。ピアノ、ぱーんぱんぱっぱぱん・・・。ジョンがテーマを高らかに宣言する。だっだーーーー、だたららたーららーー、たらたーたたー、たららたらららたらららたーららー。3回繰り返したところでソロが始まる。 余談だがここで3回繰り返すことに意味があるのかないのか?ないのか?あるのか?そのことに言及する余地はここではないので言葉の裏の余白をぜひ読み取って欲しい。 ジョンはイタコの前に座っていた。イタコは筵の上に正座し、苦悶の表情を浮かべ、苦しそうに大きく息をしながら上半身を前後左右に揺らしていた。その様は海底で揺らぐ海藻のようでもあった。ジョンは手にした数珠の一粒をまさぐりながら尋ねた。「あなたは誰ですか?」 「く、暗いっ…」イタコが応える。 「そこは何処ですか?」「寒いっ…」 「何があったんですか?」 「わしが悪かった〜〜っ、あっあっあっ」 「何が悪いのですか?」「暗い…」 「暗いのですね?」「寒い…」 「どうしてそこへ…」 「わしが悪かった〜〜っ、あっあっあっ」 ジョンはペンタトニックからシンプルなマイナースケールに移動した。 そこは南米のジャングルの奥深くだった。ジョンは今、スフィンクスとなって大地に根をおろし地上を見下ろしていた。高音のピアノが乾いた風のように吹き付けてくる。風はジョンを風化させ鼻を削り顎を落とし、やがてすべてを砂に帰し何事もなかったかのように砂漠を取り戻す。 次にジョンは毛虫になった。葉っぱの上を這いまわりながら齧るべき葉の弱った部分を捜していると、唐突に鳥につまみ上げられ食べられてしまった。 鳥はシンバルだった。地を這うように迷いの中で涙を流すジョンを見かねて繰り出された鉄槌だった。マイナーはメジャーへと移行する。 鳥に喰われたジョンは鳥の眼線を獲得する。上昇気流に乗り一つのパターンを繰り返しながら、少しずつ位相をずらし慎重に高度を稼ぐ。行き着くべき場所は見えている。後はいかに「逆転層」を超えるかだ。旋回を繰り返しながら螺旋階段を昇る。ベースもドラムも彼が何を求め何処へ行こうとしているのか気づいていた。彼が行くなら自分たちも共に上り詰める覚悟だった。たとえそこに何が待っていようとも。 きっかけはピアノだった。ピアノがFとA#を連打し、それに呼応するようにベースがグリッサンドを繰り返す。ドラムが戦いの響きを轟かせるとジョンは「もはやこれまで」とばかりにハイトーンでの32連符を叫ぶ。その時、扉が開いた。 ジョンは万華鏡の中にいた。きらびやかな色に囲まれ、ありとあらゆる音に囲まれながら、なおかつそこは静寂に満ちていた。ジョンは頂のすぐ下にいた。「あと一歩、あと一歩でたどり着ける。」ジョンは狙いを定めた。万華鏡の中心に「あの音」を差し込めばいい。それですべてが理解できる。神と合流できるのだ。ジョンは唇に力を込めると一気にフレーズを奏でた。 「ぷらぷらぺべら〜のしたんぱりかーっ!」 外れた。ベースが落胆したように低音に下がる。ドラムは息を整えるようにシンプルなビートを刻む。演奏を始めてはや3時間、タイムリミットは近い。おそらくチャンスはもう一度あるかないか。ジョンは態勢を整えると、次のチャレンジに向けて耳を澄ましドミナンドに移行すると仲間の音に集中した。 その時声がした。 「ジョン、耳ふさがんかい」 ジョンは耳を疑った。「ジョン、耳ふさげ言うとんねん!」それは、あの戦いのさなかダークフォースに自ら身を投げ出し、現生での存在を消滅させた師匠の声だった。 「そやかて耳ふさいだらドラムもベースもピアノの音も聞こえへんやん!」ジョンがさけぶ。 「心や。心の耳を開くんや。フォースを信じるんや、ジョン。フォースはいつでもあんさんと一緒やで」 ジョンは耳を閉じた。どう閉じたかは定かではないが、とにかく閉じた。すべての音が消え真の静寂が訪れる。ジョンは心の耳を開くとフォースに接続し、本来あるべ自分の姿と宇宙の中で自分の占める位置を探り、最後のフレーズを奏でた。 ドレミ〜レド、ドレミレドレ〜! ジョンはまったくの光に包まれ高みに上り詰めた。 そこは、一部でありすべてだった。個と全体が垣根を越えて一体となり、憎しみと慈しみは区別されない。もはやそこには悪も善もなく、すべてはあるがままに許され愛されるのであった。ジョンは至福の時を享受していた。この一瞬のために自分の人生はあったのだと確信した。そして、確かにそれは一瞬であった。 ジョンは落ちていった。羽根を失ったイカロスのように、地獄へ突き落とされたルシファーのように彼は地上へと落ちていった。 彼は堕天使だった。一度天上の歓びを知った者にとって現実は地獄に近い。しかし、彼は間違いなく神を見た。その誇りを宣すべく、再び高らかにテーマを3回奏でると曲は終わりを告げた。なぜ3回なのかはここでも問わない。 元ジャズ評論家相倉久人氏によると、この数時間にわたるライブの後、楽屋にジョンを訪ねたところ、彼は、今見た世界を取り戻そうとするかのようにサックスを吹き続けていたそうだ。 この後ジョンは一枚のアルバムをリリースする。そこにはほとんどアドリブすることなく、原曲のメロディを淡々と、かつリリックに奏でるだけの彼の姿があった。アルバムのタイトルは「バラッド」。彼もまた牛を忘れたのだろう。 一方その頃、都の南には金目教という怪しい宗教が流行っていた。木下藤吉郎は飛騨の山奥から3人の忍者を呼んだ! 次回「シャバドゥビダはお父さんの心なのだー!」読まないと、月に代わってお仕置きよっ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.06.05 01:08:03
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