私の旅 ~その3~
(.......前回からの続き)大きな駅で待ち時間があったりすると、アテもなく町をブラブラするのも好きだった。そしてここでもやはり地図が重宝するのだ。使える空き時間から換算して、どの辺りまで行けるかという当てをつけて、その中から例えばお城とかタワーのような、「高い」場所を探す。そういうところから町を一望すれば、その町のだいたいの様子がわかるし、そこから良さそうな場所を見つけられれば、改めて足を運ぶということも出来る。しかし当時はまだどの町に行っても、それぞれに町ごとの表情が違っていて興味深かったが、おそらく今同じようにどこかの町をブラブラしても、面白さは半減だろうな、と思う。というのも、いわゆる小売業・飲食業の大手資本チェーン化がかなり地方まで浸透してきているからで、その結果日本中どこに行っても、同じような看板が溢れるような没個性的な光景になってしまったからだ。コンビニなども旅先では便利に感じることも少なくないが、その一方で旅人のセンチメンタリズムにとっては、邪魔になるものでしかないのだ。そういったことも含めて、また前に書いた「開けっ広げ」の客車に今はもうお目にかかれなくなったという例を持ち出すまでも無く、かつて私がしていた「旅」を今この時代に再現するというのは、最早不可能なことだ。そういうこともあってか、自分のクルマを所有するような歳になると、もっぱらどこへ行くのもクルマで、ということになり、鉄道からはすっかり遠ざかってしまった。それ以前の問題として、家族で出かけるということになると、当然ながら私がしてきたような「気ままな」旅などというのは、最早望むべくもない。そうこうしている間に「国鉄」は「JR」になり、私がかつてその素晴らしい景観を堪能した路線は、少なからず廃線になってしまった。また車両も全体的にリニューアルされて、妙にこざっぱりとなってしまった。ぼろぼろだったローカル線の駅名票も、JRのお揃いのシンボルカラーのラインをまとって、“無機質”なほどにキレイになった。昔のぼろぼろの車両や駅名票に、言いようのない旅人のノスタルジーを抱いていた私としては、たまにJRに乗る機会があったりすると、そういった車両や駅名表のキレイさにちょっと違和感を覚えて、最早私の旅は、遥か昔のものになってしまったのか、と感傷的になったりもしたものだ。まあ車両や駅の施設が良くなるということは、いつもそれを利用しておられる地元の方にしてみれば、むしろ喜ばしいことであって、私などがそれに反発するなどというのは、行きずりの旅人の身勝手さでしかないのは重々承知しているのだが、ここはひとつ「旅人のたわごと」として聞き流していただけないだろうか。こういう状況になっても、今あえて「旅に出たい」と思うようになったのは、ひとつには昨今の「鉄ちゃんブーム」の再燃という現象があるからかもしれない。今本屋に行くと、中高年向けの鉄道旅行の指南書の類が、やたら目に付く。中には鮮やかなカラー写真で、絶景のローカル線の風景をその表紙に飾っているものもあるが、こういうのが目に入るとさすがに私も心がときめく。確かに昔の車両はもう無いが、昔と同じ風景が今も残っているところは多いはずだ。もしちょっとでも時間が出来たら、そういった風景に再び会うために、足を伸ばしてみようかな、などと、半ば本気で考えている今日この頃だ。いや、今の私なら、「全国酒蔵めぐり」などという旅がお似合いだろうか?