和製バカラック~筒美京平
昨日NHK-BSで、作曲家・筒美京平を取り上げたドキュメンタリーがあり、非常に興味深く観た。彼はあれだけの売れっ子にもかかわらず、今までメディアにほとんど顔を出したことがないらしい。よっぽど偏屈者だったりするのかな、などと考えたりもしたが、実際に初めて目の当たりにする筒美さんは、物腰の柔らかそうなごくごく普通の“オジサン”だった。もっともお若い頃はもっと尖がっていらしたのかもしれないが。私も幼い頃から彼の作品には数限りなく触れてきていたはずだが、それこそ幼少の頃は作曲者など興味を持たないし、音楽に目覚めてきたら今度はビートルズや一連のシンガーソングライターに触発されて、「自分で作って歌うのでなければカッコよくない」などという、いかにも未熟な若者が陥りそうなヘンな勘違いをしていたため、筒美京平という作曲家に正面から向き合ったのは、かなり後になってからだった。今にして改めて彼の作品を一度に耳にすると、改めてその凄さが分かる。いずれも非常にバラエティに富んだ曲想ながら、どこかにやはり「筒美色」とでもいうべきものが、まるで暗号のように隠れている。それは一度聞いたときに即座に分かるモノではなく、あとで聞かされたとき「ああ、やっぱりね~」と納得するようなものなのだ。松本隆氏が以前、「彼は日本の(バート・)バカラックだ」と言ったのにも納得がいく。聞けば彼はそれまでの作曲家と違い、ただ曲を書くだけでなく、プロデューサー的なことも担っていたらしい。歌手の個性を最大限に引き出すにはどんなメロディ、どんなアレンジがいいか、ということに心を砕いていたようだ。同じようなプロデューサー的な作曲家といえば、後年小室哲哉などのような人も出てきていたが、小室氏がある一定のフォーマットに歌手を当てはめて曲を量産させていったのに対し、筒美氏は歌手の個性に最大限に寄り添って曲を書いたため、筒美作品の方が歌手そのもののキャラが立っているように思う。多少偏見が入っているかもしれないが、私はそのような感覚で捉えている。「売れ線狙い」というと、私たちのようなアマチュアミュージシャンの端くれとしては、あまり誉められた言葉ではないが、それがいかにもコマーシャリズム主導の粗製濫造だと、ともすれば軽蔑の対象にもなりかねないのに対し、彼の仕事には日本のポップスを作っていくんだという気概を感じ、おおいに共感できるのだ。もうこのような作曲家は出てこないかもしれないな。