“こだわり”の真実
先日私の知人がツイッターにこのような文章を投稿した。ご本人の承諾の下に、全文を引用させていただこう。 そもそも「こだわり」なんて言葉はネガティヴな意味合いの方が強かったはずで、 にもかかわらず瑣末なことにこだわって、本人は自己満足、客観的には単に視野を狭くして いるだけの人がちょくちょくいて、なかなかに滑稽なものだ。この文章は今まで私が仕事上、あるいは日常生活において漠然と抱いていたモヤモヤ感に、明確な答えを与えてくれたような気がした。ここにもあるように、「こだわる」という言葉は、本来ネガティブなニュアンスで使われていたものだ。「何をそんな細かいことにこだわってるんだ!」というような使い方が一般的だろう。あるいはこの言葉どおり、「こだわり」という言葉を「自己満足」とか「視野の狭さ」という言葉に置き換えてみると、 「さすがはこんなところにもシェフのこだわりが窺えますね~」という誉め言葉が、 「さすがはこんなところにもシェフの“自己満足”が窺えますね~」とか、 「さすがはこんなところにもシェフの“視野の狭さ”が窺えますね~」といった、“貶し”言葉になってしまうのだ。まあもちろん商売は自由だから、こだわりたい人はどんどんこだわっても構わないと思う。むしろ他との差別化を計ろうとした結果、そうなったということもあるだろうし。ただ私が日頃から訝しく思っているのは、モノを買う側、あるいはサービスを受ける側の方で、「こだわり」という言葉を過剰に評価してしまっていることだ。「こだわりの品揃えの店」と聞いただけで、何かしらとても良いモノが揃っているように思ってしまう、あるいは「材料にこだわった料理屋」と聞くと、味に間違いはないと思い込まされている、そんな感覚が多かれ少なかれあると思う。そういった消費者の短絡的なイメージ自体にも問題はあるかもしれないが、それに乗っかるような形で、商品やサービスの提供者が「こだわり」を安易に解釈してしまうのも、また問題だろう。一例を挙げると、ある酒屋さん。ここは「こだわりの品揃え」を標榜しているが、よく見てみるとその扱いアイテムに一貫性が無い。その店主によれば、「ちょっと珍しい商品ばかり」ということだが、ニュアンスとしては「大手には無い商品ばかり」ということなのだろう。ただそれだけでは、何にどうこだわっているのかが、よくわからない。「こだわり」というからには、その店主が目指すもの、ポリシー、そういったものが見えてこないと、消費者に対して説得力が無いと思う。私もいち消費者となった場合、売り手の「こだわり」というものを漠然と評価するのではなく、その中身について突っ込んでみるくらいの気持ちの余裕を持ちたいと思う。