第三者的行司
「反原発」と「原発推進」、相変わらずいろんな立場からいろんな意見が飛び交っている。私自身はといえば、理念としては「反原発」なのだが、だからといって全原発を停止した場合の、今後のエネルギー供給に関する混乱を考えると、確かに現実的ではないかもしれない、という危惧はある。現時点で世論は、「原発推進」か「反原発」かでスパッと割れてるようなフシもあるが、ここはもうちょっと柔軟に、「減・原発」という選択肢もアリかと思う。社会・経済情勢への影響を見極めた上で、少しずつ電力需要を減らしていって、最終的なゴール地点を「原発ゼロ」に据える、というような。ただそのためには、数字的な判断材料が不可欠だ。実際に今、「反原発」派も「原発推進」派も、自陣の主張を正当化するべく、いろんなデータを提示している。私も「反原発」と「原発推進」、双方の意見をデータと共にいろいろと見聞きしたが、この場合厄介なのが、双方の共通軸が無いということだ。データというのは、本来は客観性の高い物のはずだが、視点を替えることで意味合いが変わったり、あえて「隠す」ことで何らかの意味合いを持たせたりもできる。要するに双方が、それぞれのバイアスの掛かったデータを振りかざしているのだから、こんなことではかみ合った議論など出来るはずはない。今日本に最も必要なのは、どちらの利害からも独立した、第三者的な行司役だと思う。そしてそれが無ければ、永久に結論など出ないと思われる。