何のために酒を飲む?
先日たまたまカーラジオを聴いていたら、往年のヒット曲『氷雨』が流れてきた。私自身、ずいぶん久し振りに耳にするナンバーだ。“もっと酔うほどに飲んで、あの人を忘れたいから....”ワンコーラスはこのフレーズで終わる。この曲が流行った当時は私も少年だったから、そんなものなのかなあ、くらいにしか思っていなかったが、今になって改めて聴くと、「何だかな~....(^^ゞ」と思ってしまう。確かにこういう酒の飲み方もアリかもしれないが、個人的には「何かを忘れるためのツール」として酒を利用してほしくはない、という思いはある。もっともこの曲に限らず、こと演歌となると、「あの人のことを忘れるために酒を煽る」といったようなシチュエーションは枚挙のいとまがない。それはつまり、日本人がこれまで酒というものをどのように利用してきたか、という歴史でもあるのかもしれない。話は変わるが、ウチの店にしょっちゅう来店される、あるお客さんのこと。まだ30歳前後くらいかと思われるが、顔色は悪く、げっそりと痩せている。いつも缶チューハイを1本レジに持ってきては、「もー、飲まなきゃやってられませんわ~」と、ひとしきりぼやくことぼやくこと。ブラック企業にでもお勤めなんだろうか?あまりにもネガティブなオーラが出まくりなので、本音ではお引き取り願いたいと思っているのだが、もちろんそんなことも言えない。この人もおそらく、「つらい日常を忘れるために」酒を飲んでいるのだろう。本来なら、「楽しむための」酒、「喜びを分かち合うための」酒、「味わうための」酒、であることが一番望ましいと思う。もしもそういうポジティブな心境じゃなかったとしても、せめて「傷ついた心を癒す」酒であってほしい。それが「酒の存在価値」だと思うのだ。もちろん一商品である以上、購入した人がそれをどう利用しようと、文句を言われる筋合いはないだろう。しかし、「酒の力を借りて云々」というネガティブな発想では、酒が可哀そう、酒を造る人が可哀そう、と思ってしまう。大手であれ中小であれ、およそ酒を造ることに携わっている方々としては、いかに楽しく美味しく飲んでもらうか、ということに心を砕いているはずだと思うから。もちろんこの延長線上で考えれば、イッキ飲みなどして急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれる、などというのは、もはや許し難い行為だ。