子供の名前
これをご覧の方の中には、これから書くことに該当する方がいらっしゃるかもしれません。気を悪くされたら申し訳ありません、と、先にお詫びいたします。いわゆる「DQN(ドキュン)ネーム」とか「キラキラネーム」とよばれる、“ぶっとんだ”名前が横行している。たとえそういうレベルでなくても、昨今子供に付けられる名前を見ていると、「まず、読めない」名前というのが結構目につく。まあ、他人の子供に付けられる名前なぞ、私ごときが口出しなどする筋合いのものではないが、それでも大いに違和感を感じずにはいられない。「名前」というのは、考えてみれば不思議なもので、生まれてから死ぬまで一生付きまとうものなのに、自分では決して選べないものだ(現行法では「改名」は相当厄介な手続きを要する)。本当は本人に考えてもらうのが一番だが、生まれたての赤ん坊にそんなことができるわけもなく、言ってみれば、それを親が「代行」しているに過ぎない。つまり親には、何十年間かの子供の人生を象徴する「名前」を選ぶことを「代行する」義務がある、と言ってもいい。そう、あくまでも「代行」なのだ。ところがそこを履き違えている人が、あまりにも多いように思えてならない。よく子供の名前を付けるときに、「親の想い」を込める、という話を聞くが、一見微笑ましいハナシながら、一歩間違うと単なる「エゴ」にもなりかねない。ましてや、親が尊敬する、あるいは好きな有名人の名前にあやかる、ということに至っては、子供にとっては大きなお世話でしかない。親が「付けたい」名前を付けるだけなら、ペットの名前を付けるのと何ら変わりないのではないか。子供の名前が、親の「所有物」になってやしないか。本気で子供の将来を考えるのなら、「将来子供が名前で困る可能性が限りなく低い」名前を選んでやってほしい。そういうオマエはどうなんだ、と言われるかもしれない。ちなみに私には男一人、女二人の計三人の子供がいる。彼らの名前をどのように付けたか、参考までに記しておきたい。まず第一に考えたのは、1、サッと読める(読み間違う可能性が無い)こと2、書きやすいこと3、漢字の説明がしやすいこと4、親族の中に似た名前が無いこと5、それでいてあまりありふれた名前ではないこと以上の5点だ。さすがに私の子供の名前をここに記すことはできないが、概ねこの5点を満たしたいい名付けだったと自負している。もっともほんとに良かったかどうかは、当の本人の判断なのだが、今のところ不平不満は出ていない。