たかが床屋、されど床屋
とうとう床屋を替えた。16年前に現在地に引っ越すまでは、前の住まいの近所の床屋を利用していたが、引っ越し先の同じ町内に床屋があったので(しかも同じ組!)、ここで散髪しないとばつが悪いかな、と思い、以来ずっとそこで散髪してきた。ところがこの近所の床屋、ハッキリ言って私に合わない。床屋とユーザーとの間に「相性」というものがあるのかどうかわからないが、少なくとも私はそこで頭を刈ってもらった後、良い気分になって帰ったことが無かった。我慢できず、何度も床屋を替えようとは思った。妻は、「私だったら全然気にしないわよ」と私に翻意を勧めていたが、小心者の私は、かの床屋に「浮気された」と思われるのが何となく嫌で、ずっと悶々としながらも、結局その店に通い続けた。その間、実に16年だ。しかしその「16年」という時間の重みを改めて目の当たりにした時、私は人生でものすごい大損をしてきたのではないか、と今さらながら愕然とした。そう考えると、もう人の目を気にしててはいけない、と思った。次散髪に行く時は、前行ってたところに行こう、と心に決めた。それで今日、16年前まで通っていたその床屋に行ってきた。たぶん私のことなんて忘れているだろうな、と思ってドアを開けたら、そこの娘さんが私の顔を見るなり、「あ、リカーマンさん!」と私の名前を呼んでくれたのだ。ここは母娘二人でやってる、小さな床屋だ。この日はあいにくお母さんの方は不在だったので、娘さんに髪を切ってもらった。以前私が通っていた頃は、この娘さんはまだ若く、補助的な役割に徹するのみだったが、今ではきちんと理容師免許も取得し、私の満足のいく仕上がりにしてもらった。帰り際に彼女は、「母が帰ったら、(私が来たことを)早速報告します。母もきっと喜ぶと思います」と言った。もうその一言で充分だった。ほんとに意を決してここへ来てよかった、と心底思った。次からもここを利用し続けたいと思った。ご近所のよしみは大切にしたい。しかしそれと同じくらい、自分の意思も大切にしたい。今回のことは、私にとっては冒険だったが、やってよかったと思っている。