国民投票
国民投票って虚しいな....イギリスのEC離脱を問う国民投票の一部始終を見ていて思った。もちろん法的に認められた手段ということで問題は無いのだろうし、それほど頻繁に行うものではない“最後の手段”としての認識はされているのだろう。それに国歌の一大事を、誰もが納得いく形で決着つけるとすれば、現時点ではこれに勝る手段は無いのかもしれない。投票率が低ければ、その有効性が問題になるだろうが、今回の72.2%なら問題はなさそうだ。それだけ正当な手段であっても、国民投票にはある種の虚しさがつきまとう。今回と逆の結果になったとしても、同じように感じたことだろう。その虚しさの正体を考えると、ひとつにはやはり国民を大きく二分してしまう怖さがある。日本でもたとえば大きな課題(原発誘致とか)を抱えた自治体の首長選挙なんかになると、その町や村を二分した戦いになって、どちらが勝ってもしこりは残る。住民同士の付き合いの深さや親密度とは別の次元で、嫌悪の感情が芽生えることもあろう。それに、これは実施の仕方にもよるだろうが、“一発勝負”の怖さというものもある。ひとりひとりが熟慮に熟慮を重ね、いろんな立場の人との対話も重ね、最終的に導き出した結論なら問題ないと思うが、特に日本で国民がそこまで成熟しているかどうか疑問だ。その時々の社会の雰囲気や、執拗なプロパガンダに流されないとも限らない。重要な案件だからこそ、“一発勝負”はコワイ。しかもその結果は覆すことはできないから、あとで事態が悪い方に転ぶようなことがあっても、誰も責任を持ってはくれないのである。いずれ日本でも、国民投票が行われる可能性はあるだろう。おそらくは憲法改正に関する事項になるだろう。今から一抹の不安を感じずにはいられない。