日大「悪質タックル」事件から思うこと
日大アメフト部の、いわゆる「悪質タックル」事件が、連日マスコミを騒がしている。私は根っからのアメフトファンで、日頃はこの競技のマイナーぶりを嘆いていたものだが、いざこんな場外編のようなことで注目されると、戸惑いを禁じ得ない。確かに登場人物のキャラはマスコミ的に映えるものかもしれないし、舞台が昨年の甲子園ボウルと同じカード、つまり東西のトップ校同士ということも、話題に拍車がかかる一因になったのだろう。いずれ時が経てばすっかり忘れ去られて、アメフトはまたマイナースポーツに戻るだろう。もしかするとこの事件をきっかけに、アメフトをやろうとする学生がガタ減りして、部員不足によってひいてはリーグ存続自体が怪しくなるかもしれない。だからこそファンとしては、今のこの騒ぎっぷりが切なくて仕方ない。事件の中身に関することは、もうすでにさまざまなメディアがさんざん報じ、いろんな人がいろんな場で発言しているから、ここではあまり詳しくは触れない。もちろん私も世間の大まかな見方と同じで、悪質タックルは監督・コーチからの指示であることは、もはや疑いようもないことだと思っている。そしてそれをあくまで否定する監督・コーチの見苦しい弁明と、加害者学生の会見での清々しい態度との間に、大きな落差を感じた。だから通り一遍のことは書かないようにしたいが、どうしても書きたいことがある。先日、日大の内田前監督・井上コーチの記者会見をライブ映像で見た。ここで内田前監督と井上コーチの対応に、明らかな差が見えた。かなり憔悴しきったような表情で会見に臨んだ井上コーチが真摯に見えたのに対し、泰然自若とした内田前監督の老獪さが際立っていた。もっともらしいことを口にしてはいるものの、記者の質問の意図をそれとなくはぐらかし、自分の言いたいことを滔々と述べたりしている。どこかで見たような光景だな、と思ったら何のことは無い、安倍総理の国会答弁と同じだ。彼も質問者の意図などまったく無視して、滔々と自説を述べることが往々にしてある。この不遜な態度は、まさに共通している。人間歳をとってくると、要らぬところで余計な知恵がついてくるものだ。ただ、この会見に関して言えば、私はマスコミ側にも大いに幻滅した。前監督・コーチの対応もひどいが、マスコミの態度にも腹が立った。同じ内容の質問を何度もするし、事実の究明という目的から逸れた質問も多かった。また質問を途中で打ち切ろうとした司会者と押し問答になったことで、司会者がかなりバッシングを受ける事態ともなったが、あれでは司会者キレて当然だ。私ならもっとキレてるだろう(笑)。あれだけ多くの記者がいる中で全員の質問を受け付けていたら、いつまで経っても終わらない。しかも同じような質問が繰り返されている中では、打ち切りを考えて当然だ。記者会見はそれを見る者のためにやっているのであって、記者の自己満足のためではない。また「ひとり一問一答」と約束したにもかかわらず、いくつもの質問を畳み掛けてくる記者、こんなルール違反も彼らは「正義の御旗」を掲げることで正当化しようとする。また質問前に記者が名乗るが、ほとんどがいわゆる「報道バラエティ」番組だったりする。しかも一つの局から番組ごとに何人もの記者がやって来て、私にはただの無駄にしか見えない。局ごとに記者一人派遣して、その記者の記事を元に各番組を練ればいいのではないか。もっともそうしてないところを見ると、何らかの縄張り意識があるんだろうと思われるが。記者会見の話題はさておいて、今回の事件はいくつもの要素が複合的に重なった上で表層化したものではないかと思っている。それは、「上の者には絶対服従」という体育会的体質だったり、ルールを多少逸脱してでも達成したい「勝利主義」であったり、実績のある指導者をないがしろにできない大学の体質だったり、その他いろいろ入り混じっていると思う。ことによってはその大学単体では如何ともし難いこともあろう。いっそのこと行政(スポーツ庁)の力を借りねばならないかもしれない。でもどこかで変えていかないと、スポーツ界自体の歪が是正されないままになってしまう。それは大学スポーツ全体にとっても、不幸なことでしかなり得ないだろうと思う。