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2015年10月04日
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カテゴリ:ふっと思ったこと
最近、「議論」というものについてふっと考えることがある。

「議論」というのにももちろんテクニックがある。
それを駆使できる人は、要するに“議論上手”なのだろう。
ただそのテクニックのあるなしで議論の行方が決まってしまうのは、果たしていかがなものか?

そもそも何のために議論をするのか?

こう問うと大抵の人は、「異なった意見のどちらが正しいかを決するため」と答えるだろう。
しかし議論というのは、単に勝ち負けを決めるものなのか?

よく議論の場で、相手を「論破する」という言葉を聞く。
これなど完全に、テクニックを弄して雌雄を決する、ということに他ならない。

それからもうひとつよく聞くのが「理論武装」という言葉。
議論で勝つために「理論武装」する必要がある、ということだ。

言いたいことは分からないでもないが、そもそも議論の場に
「武装」というきな臭い言葉を使う違和感は拭えない。
議論というのは「勝ち負け」ではないと思うからだ。

私は「議論」というものは、異なった意見を持つ人間同士が歩み寄るものだと思っている。
どこまでも自分の我を通そうとすると、いつまでたっても平行線のままだ。

でも巷ではそう考えてる人も少ないかもしれない。
「朝まで生テレビ」なんか観てると、ついそう思ってしまうのだ。





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最終更新日  2015年10月04日 00時57分44秒
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