2021年秋冬期のNHK朝ドラ『カムカム・エヴリバディ』は非常に面白かった。ただその陰でひとつ感じたのは、制作者にとってとてもやりづらい時代になったのではないだろうか、ということだ。
ところで私がNHK朝ドラを欠かさず見るようになったのはいつかというと、2013年の『あまちゃん』からなのだが、それにはちょっとした動機があった。
当時NHKで昼間の帯番組として『ホールド・オン』という視聴者参加型クイズ番組が放映されていたのだが、クイズ好きの私は当然のごとくそれに出たいと思っていた。幸い私の家から近い名古屋で予選があったので受けることにしたわけだが、それに際して、NHKで放映中のドラマは問題として絶対に出る可能性が高いだろう、という判断から、とりあえず観ておこうということになった。
そんな不純な動機で観出したにもかかわらず、この『あまちゃん』がめっぽう面白く、その流れでそれ以降の朝ドラも続けて観るようになり、それがいつの間にか私の毎朝のルーティンとなって今に至る。もちろんそれらの中には世間的に評価の高かったものも低かったものもあるが、私個人的にはあまり気にしていない。朝ドラの時間は私にとっては起床直後なので半分寝ぼけているから....ということもないではないが、もともと能天気に観る性質だからかもしれない。
そして世間的にも『あまちゃん』以降新しいファン層を獲得したこともあってか、SNSでバズることが格段に増えたように思う。そして最近ではその「バズり」を社会現象であるかのようにメディアで取り上げることも多くなった。今回の『カムカム・エヴリバディ』もその例に漏れず、大いにバズった。特に開始当初から様々に張り巡らせた(と思わせている)「伏線」をいかに「回収」するか、という部分で大予想合戦が繰り広げられていた。
この「伏線」とその「回収」、以前はそれほどこだわられることがなかったように思うが、民放も含めて最近は重要視されるようになっているのだろう。視聴者の期待が大きければ、製作者はそれに応えなければいけない。視聴者が様々な予想合戦をするなら、製作者はその斜め上を行かないと称賛されなくなっているのかもしれない。
しかし「伏線」と「回収」に主眼が行ってしまうと、それはまるでミステリーか謎解きと同列になってしまわないだろうか? ドラマとしての面白さは全く別の次元にあるはずで、そこを重視しながら「伏線回収」もしなくてはいけないとしたら、製作者としては恐ろしくハードルが高くなっているに等しいと思うのだが。
ドラマを観る視聴者も今は皆ずいぶん目が肥えてきて、大概のことでは満足できなくなってきているのかもしれない。事実ネットなどでのドラマ評を見てみると、かなり辛辣なコメントも結構多くみられる。まあそのおかげで全体的に質が向上しているのであればそれはそれでいいのかもしれないが、いつも能天気に観ている私から見たら、製作者は相当やりづらいんじゃないかな、と要らぬ心配をしてしまうのだ。