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カテゴリ:ふっと思ったこと
毎年この時期になると、広島・長崎原爆投下の日や終戦記念日がある関係で、戦争の是非を問う論争があっちこっちで巻き起こる。いや、「戦争の是非」と言ってしまうとちょっと語弊があるな。誰も好き好んで自分から戦争を仕掛けたりはしないだろうから。言い換えれば「自衛のための軍備は充実させておかなければいけない」とか「平和維持のために他国の軍隊と共同歩調を取らなければいけない」といった思想と、「とにかく戦争はいけない」という思想、このふたつだと言ったらいいか。
このふたつの思想はまったく相容れない、いわば「水と油」のような関係かもしれない。というのも前者は地政学的観点から衝突を回避する方法を探っており、後者はとにかく戦闘現場のリアルを頭に描きつつ人道的に戦闘行為を否定しているからだ。言い換えれば前者が「マクロ的見地」で後者が「ミクロ的見地」だといえるだろう。視点が違うから議論をしても全くかみ合うこともないし、妥協点を見出すということもできそうにない。 そんな中で、私は基本的に「戦争には反対」の立場をとる。「マクロ的見地」も論理的には理解できないわけではないし、自分がそれを否定するだけの根拠も乏しい。ただ基本的に「マクロ的見地」に立つ人(為政者もこれに当たることが多いかと思う)は「ミクロ的見地」に立つことはそうそうないんじゃないだろうか。言ってみれば総理大臣が戦場に赴くようなものだから。そうである以上、「マクロ的見地」の説得力は相対的に乏しくなる、と感じざるを得ない。 時に“脊髄反射”と揶揄されることも多い「ミクロ的見地」だが、それを軽視すると一気にタガが外れてしまうように思えてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年08月30日 22時42分42秒
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