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2024年08月10日
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カテゴリ:スポーツの話
今年も夏の甲子園大会が行われている。開会式もテレビで観ていたが、直後の試合に出場する2チームを最後に入場させるなど新しい施策が見られたのが興味深かった。ただそんな中で毎年のように引っかかっていることが相変わらずであった。選手宣誓である。

いつのころからか、選手宣誓は「宣誓」ではなく「スピーチ」になってしまったと感じる。別にどうでもいいじゃないか、と言われそうだが、物事の本質を踏み外してしまうことは「教育の場」としては看過できないことではないだろうか。ましてや今年は「大会会長挨拶」「文部科学大臣祝辞」などよりもはるかに長い2分40秒にも及んだと聞く。話を簡潔にまとめさせることも国語教育の重要な要素だろう。

誤解のないように言っておきたいが、私は選手宣誓を行った選手個人を貶めるつもりは毛頭ない。むしろあれだけの大観衆の中で一言一句間違いなく話すことのプレッシャーはハンパないだろうし、それを考えたら称賛に価すると思う。要は方向性の問題で、これは誰の責任でもない。



選手宣誓といえば、定型フレーズがある。

「宣誓!私たち選手一同はスポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います!」

昔のことはよく覚えてないが、かつてはずっとこんな感じだったと思う。それがいつのころからか、せっかくやるなら「独自色」を出したい、という流れが出てきた。その流れの中でたとえば英語を織り交ぜたりといった試みもあったと記憶している。

そのうち宣誓フレーズに「感謝」といったワードが出始める。「家族や周りの人々」や「野球をやらせてもらえる環境」に感謝する宣誓が増えてきた。この流れを加速させたのが「阪神淡路」や「東日本」といった大震災だろう。野球をやりたくてもやれない球児の話を聞くにつけ、自分の境遇が如何に恵まれているかということを痛感するのだろう。

さらに選手宣誓する選手はよりオリジナリティを求めだす。少なくとも昨年のものを上回りたい、くらいのことはみんな考えるだろうし、結果としていろんな要素をあれもこれもと詰め込んで、より長くなっていく。さらにこれは肝心なことだが、選手宣誓については皆が100%素晴らしいと称賛する。ケチをつける人はいない。だからこの流れで間違いないとみんな信じてしまうから、その結果さらに「スピーチ化」はエスカレートする。

もっとも私自身は違和感を持つにせよ、聞いている人が皆これでいいと思うなら、私がとやかく言うことはない。ただこの流れはたぶん止まらないから、来年以降もエスカレートするだろう。臨界点を超えたところで、今まで称賛しかしてこなかった高校野球ファンやスポーツマスコミが止めることができるのだろうか?



さらに言えば気になるところがもうひとつ。今回の宣誓でも触れられていたが、「自分たちのプレイが見ている人たちを元気づけたり夢を与えられるものでありたい」といった内容に言及することが多い点だ。これは宣誓のみならず、普段の選手へのインタビューでも頻繁に聞かれる。内容的に問題があるわけではないが、なんでそんなところまで選手が背負わなきゃいけないのか。

これはマスコミの取り上げ方にも原因があるのかもしれない。選手達はみんな高校生、子どもだ(いま18歳で成人だが、それはそれ)。しかもスポーツは基本的に自己実現のためにやるものだ。世間のあれこれを背負う必要などない。ところがマスコミがいたずらに高校野球を美化するものだから、選手の側に変な義務感が芽生えてしまっているしか思えない。

もっとも当の選手たちはもっとあっけらかんとしているのかもしれないが、それはそれで表の顔と裏の顔をとの使い分けが巧みだということだろう。いずれにしても選手達には他の誰かのためではなく「自分自身のため」に精一杯のプレイをしてもらいたいと願う。





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最終更新日  2024年08月10日 21時50分12秒
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