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カテゴリ:母のひとりごと
もう10年以上も昔のアルバムを開いたことがなかった。 ふと思い出した若い日の思い出。 1987年のハワイ。 カウアイ島の空港、リフェで一息いれてる22歳の私。 短大を卒業して旅行社に勤めていた私は、年末年始をハワイの短期駐在で過ごすことになった。 たぶん当時の円レートは250円くらいだったかな・・・? バブル真っ盛り、海外旅行ブームでそれはそれはものすごい忙しさだった。 ハワイといっても賑やかなオアフ島ではなく、私が駐在したのはカウアイ島。 古き良きハワイの田舎といった風情で、あるものといえば自然だけ。 今でこそカウアイを訪れる人は少なくないだろうけど、当時はまだまだマイナーな島だった。 ホノルルの正月はものすごい喧騒だった。 その時にはたけし軍団がどっと繰り出してきたり、聖子ちゃんと神田正輝が結婚したばかりで2人でやってきたりと芸能人がざっくざく。 そんなとき私は名前も覚えてない男性の先輩と2人、カウアイに島流しになって空港を走り回ってた。 今はもう違うのかも知れないけれど、当時のカウアイ島の空港はアロハ航空とハワイアン航空の到着口がものすごく離れていた。 普段ならネームリスト通りにお客さんが到着し、確認して荷物をホテルに送り、お客さんを市内観光のバスに乗せれば良いだけなのだが、正月のハワイは大変だった。 誰がどの便でやってくるか、全くわからない・・・突然増便したりもした。 だからお客さんが到着して現地スタッフがいないとなると大問題なので、その先輩と2人で二手に分かれて長い空港を走り回った。 現地法人のグリーンのアロハシャツを着て、髪にプルメリアをつけていると、日本人観光客から英語で話しかけられた。 「日本人ですから日本語でどうぞ」と言うとあからさまに落胆されるので、「ふふーん、ハハーン」とか相槌をうちながら、ガイジンのフリをしてたっけ。 数日経つと運転もした。 島の1番突端にあるホテルの客の夕食のオーダーをしなきゃならないと、嵐の中1時間も車を走らせて、ただ夕食のオーダーのために行ったっけ。 現地のオペレーター会社の日系人男性にひと目ぼれして、大晦日のダンスパーティに誘ったけど断られたな・・・。 物静かで笑顔がステキな人だった。 オアフのスタッフはみんなでダンスパーティをしたり、カウントダウンで盛り上がっていたらしいのだが、私は1人部屋で寂しくCNNのカウントダウンを見ながら過ごし、オアフのスタッフに電話して「明けましておめでとう」なんて言ったもんだ。 あの頃は何でもやりたかったし、どこにでも行きたかった。 アルバムを開くと当時の思い出が少しずつよみがえってくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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