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2008.01.02
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今日は、父の誕生日である。

大正3年1月2日の生まれで、
存命だと94歳のはずだが、
78歳で他界。
肺ガンだった。

もっとも本当の誕生日は12月下旬だったようで
正確な日にちは分からないと父自身も言っていた。

父は、「和夫」という字をかいて、”やすお”と読む。
7人兄弟の末っ子で、
鹿児島種子島の生まれ。
7人兄弟のうち、一人が女で、あとは皆、男。
7福神に例えられて、にぎやかな家庭だったという。

父の上の兄達は、
5人目の4男が「澄夫」で、もう生むのは”済み”の意味だったという
しかし、6番目ができて、「留夫」、もう生むのは止めようだったらしい。
ところが、7番目に、また、父が生まれ、
すこし”休め”ということで、ヤスオになったと
冗談っぽく、父の兄である澄夫おじ、留夫おじ達が、
東京の家にくると、おもしろおかしく
子供のわれわれたちに聞かせてくれたものだ。

元旦生まれは、そんなことはないのだろうが
正月も2日の生まれというのは、気の毒で、
いつも毎年、何年間も
父の誕生日が今日だ、と気づくことは、
ほとんどなかった。

元旦の興奮を引きずって、
2日目を迎え、昼過ぎから
親戚などが集まってきて
食べて、飲んで、ゲームをして
などとしているうちに、時間が過ぎていく。

その間、誰も、父の誕生日であることに気が付かない。

夜、寝る前になって、もしや!と思って
あわてて、
”お父さんの誕生日だったよね”、
などと、声をかけると
はにかみながら、
”そうーだ”
と答えたものだ。

毎年、そんなことがあって、
僕が、大学生の頃だったか
今年こそと思いながら
家族一同で
朝から、誕生日おめでとうと
ケーキや、プレゼントをあげたことが1回くらいは、
あったなあと
おぼろげに思い出す。

昭和21年5月、戦争が終わり満州から戻ってきた父は、
祖母たちが取り持った、山脇の女学生だった母と結婚し、
昭和22年4月、まさに団塊世代のひとりとして
私が、生まれた。

父は33歳、母は、19歳だった。
その私も今年61歳、
そして、母は81歳で、健在である。

東京の実家では、
戻ってこない長男の私の一家の代わりに
2歳下の、弟一家4人、
そして、17歳年の離れた、
母が36歳の時に誕生の妹の一家4人が
世田谷にそろい
墓参りをして今頃、母を囲んで、
賑やかに正月の祝いをしているはずだ。

正月となると、まだこどもの頃は
百人一首を、昔、良くした。

父の読み上げる声が聞こえてくるような気がする。

父の好きな句が、

「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ]

下の句の、
乙女の姿、しばしとどめん
を、嬉しそうに、2度繰り返し
読むのだ。

それから、

「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは」

では
末の松山、を、すえのまっちゃん、なみこさじとはー
と読むのがおかしくて、
まっちゃん、という言い方に、
今でも、父ならではの読み方が、
心にのこっている。

他にも
ダイヤモンドゲーム、
ジェスチャーゲーム、
マージャンなど
母の2歳下の妹である叔母の一家たちがくると
正月家族対抗戦で、いとこ同士で大いに
盛り上がったものだ。

何時までも、
この賑やかさ、楽しさが
続くものと思いながら
若い時は無心にすごしているが
母が80歳を越え、
自分自身も60を向かえて
さて、あと何年
こんな家族の風景が
続くのかなとふと思ってもしまうのだ。

東京に今これから電話をしてみようかなと
思うのである。

やはり、今年3月の春休みのころには、
15歳と19歳の我が家の子供達を伴い、
夫婦そろって上京し、面目を保ちたいものだ。





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最終更新日  2008.01.03 02:37:13
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