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テーマ:今日の一押し。(160)
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第一次戦後派の文学仲間だった椎名麟三がカソリックに入信したとき、埴谷雄高はサン・バルテルミの大虐殺を例に挙げて、「入信するなら≪一人イエス≫になれ」と厳しく彼を詰ったことがあった。椎名は反論せず、ただ目に涙を浮かべていたということである。
今はもうお二人とも故人であるが、そのとき≪一人イエス≫を口にした埴谷の念頭にはキルケゴールのことでもあったのだろうか、≪教団=宗教集団≫は絶対駄目だと繰り返し断言したというのだ。 この大虐殺は1572/8/24にフランスで起こったカソリック教徒による新教徒の虐殺であり、最近になってローマ法王自らがこの事件を断罪し全世界のカトリック信者らに詫びた。 「異教は許せても異端は許せない」という言葉もあるように、人間という生き物は一般に、自分に近しい者の離反~造反を笑って見逃し得る程寛大にはなれない生き物なのだが、だからと言って「異教徒なら万事許せる」ということでは更々ない。中世ヨーロッパの諸列強は数次に亘る『十字軍遠征』の中でオスマン・トルコの領地へ侵入して略奪~惨殺を繰り返した歴史がある。異教徒を征伐しようにもそれが敵わない場合は『許す』しかないのだ。『彼我の力関係』の浮沈で、逆にトルコ軍が欧州へ攻め込んだ歴史もある。その際のトルコ軍楽隊の強烈な印象を、モーツアルトやベートーヴェンが『トルコ行進曲』という音楽にしたのである。 宗教家たちは皆こぞって、「レーニンは『宗教はアヘンだ』と言った」と指摘して彼を詰るのだが、宗教には表もあり裏もあって、必ずしもいいことばかりがあるわけではないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年03月29日 15時16分30秒
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