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テーマ:塾の先生のページ(7837)
カテゴリ:まじめな教育論
芝居は楽しい。良い芝居は演者と客が一体化する。
良い芝居は、舞台上の演者の輪の中に、客を完全に食い込ませる。客は芝居の世界に自分の居場所を見つける。芝居小屋は家になり、役者と客は家族になる。 だからこそ良い芝居は、芝居が終わったあとの反動が大きい。芝居の親密な小宇宙からひとり取り残されたような猛烈な孤独を客は感じる。芝居終了後客に猛烈な孤独を感じさせる芝居こそが良い芝居である。 ところで最近、学校で芝居をする機会が減ったような気がする。 私はもっと学校で芝居に力を入れてもらいたいと思う。小学校・中学校では、1年に2~3回は芝居をする機会を与えてほしい。 芝居は子供を成長させる踏み台になる。 子供に芝居を演じさせる利点は、まず第1に国語力がつくことだ。 暗記暗唱は学力向上のための最大の方法であろう。英文を暗唱し古典を暗記することは、学力向上への近道だ。 芝居を演じるには台本を完璧に「暗記」しなければならない。上質の台本を記憶し演じることで、必然的に国語力が上がるのは道理だ。 芝居とは、良いテキストを暗記暗唱させるための最高の手段である。 第2の利点は、芝居を演じると人前で物怖じしない度胸が身につくことである。 大勢の観衆の前で正面を向き、台詞を口にすると最初は緊張する。 しかし自分の発した台詞で、或いは自分の体の動きで観客を感動させ、笑いを取る快楽は何者にも変えがたい。 ふだん子供は学校で知識のinputばかりで、outputの機会があまりない。芝居は子供が自分を表現する手頃な手段だ。 第3は芝居は子供の団結力を高め、達成感を与える。 芝居には人手がかかる。役者・脚本・演出・舞台装置・照明・大道具・小道具・衣装・メイク・宣伝・・・・ 多くの人間の努力と才能とアイディアが渾然一体となり、優れたリーダーの下に団結しなければ良い芝居は生まれない。また芝居のために汗水流し、観客から熱い拍手を浴びた時の達成感は何者にも変えがたい。 第4、これが一番重要だが、芝居は子供の「人格力」を高める。 芝居の役柄になりきり、舞台上で別人に憑依すれば、演者は役柄の人物のエッセンスを吸収し、強い影響を受ける。 良い人を演じれば、子供は良い人になる。 また役柄の人物の所作や立ち振る舞い、言葉使いを子供は芝居を通して身体で覚える。 若者の言葉使いや態度が乱れていると言う大人は多いが、どんな言葉使いが人に好かれ、どんな振る舞いが賢明か、大人は若者に模範的な「形」や「手本」を示せずにいる。 形や手本を示さずにただ「最近の若者の言葉使いはなっとらん!」と否定するだけで難癖つけるのは、まるで吉良上野介みたいな陰湿な態度である。 芝居を通して子供の頃に、自分以外の人物になりきる訓練をしておけば、成長した時「引き出し」が増えるような気がする。 ところで、学校が最近芝居に熱心でないことは、おそらく学校内で左翼教師の力が低下したことにも原因があるだろう。 左翼運動の啓蒙は芝居を通して行われた。かつて左翼演劇の説得力は、民衆を熱狂させた。 それと同じく、左翼の平和教育や平等教育の血肉化に芝居は大きく手を貸した。これは戦前の皇民化教育の手法をそのまま踏襲したものである。 戦前も戦後も、学校ではイデオロギーを子供に染みさせるために芝居を利用した。芝居は子供の頭も心も体も呪縛する。芝居は子供を洗脳する手段としては最高の装置である。芝居にはわれわれの想像以上に危険性を持つ。 でも逆に言えば、子供を正しく「洗脳」するには芝居ほど効果的な装置はない。 芝居は子供を洗脳する毒薬だ。しかし同時に子供に「形」や「規範」を叩き込む良薬にも成り得る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/07/14 06:56:53 PM
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