最近気づいたくだらないこと。
他人を友達だと思うのは、ほぼ幻想だけれど、法則的なのを最近思った。いわゆる友達になるには、何かそいつに勝たないといけない。何にというのは、限定はないのだけれど。どうやら人は、自分に勝った相手を自分と対等だと(対等にしたいと?)思って執着するのだ。その執着を友達になりたいに変換する。マウンティングがはびこっている最近は、特にそう。皆んな怯えていて、そんな人が増えた。でも昔から、男→女の恋愛感情もどっかそんな所がありそう。(大半の男が自分より若い女を異様に好むのだって、分かりやすく若さで負けているから。)だから、遠慮せずに我が道を突き進んで、勝ちを目指していいのだ。出る杭は打たれるというが、そういう風に、自分に勝った人の足を引っ張る人は、いざ、自分の方が上だと判断した途端、今度は馬鹿にして酷い扱いをしてくる。結局、どっちでも友好的でない。友好の能力が無い人だ。相手にするだけ時間の無駄だ。その場その場で適当にあしらえばいい。だから、若い人よ。自分を向上させて、ばんばん勝てばいいんじゃ。中高年以上もじゃ。呼びかけたが、結局、自分に言いたいだけ。10代の頃に、面と向かって、こういうもやもやの感覚をストンと言葉で腑に落ちさせてくれる大人が私の周りに一人でもいたら、どんなに良かったか、身体的にとても楽にその後生きられただろう。わたしは本当に、こういう言葉を必要としていたのだ。わたしは自分の哀しみの垢を、自分で落としている。落とせて良かった、まあ、ラッキーでいい。それで勝てなくてもアホみたいに気に病まない。勝ってもいいんだ、これは勝とうと、一つ一つの小さな事象で、本当に気軽に思えていることが大事だ。それで誰かに勝てていたら、もしそいつがまあまあいい奴だったら、そっちのほうから友達として近づいてくる。何故か、いい奴でも、人間皆んなアホで自分に執着してるから。だからいつかは別れというか、執着の解消がやってくる。目先の利害関係がもし存在していないのならば。縁て結局、目先の利害関係だ。綺麗な言葉で言い換えているだけ。そんな感じの法則くだらなーい。