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2007.06.15
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カテゴリ:英会話
イデオロギーとしての英会話./ダグラス・スミス著/晶文社
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
NOVAに通うよりこれを読め!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 僕は英語が苦手である。中学の通信簿はたいがい2か3だった。(英語だけでなく
美術以外は他の科目も似たようなものだったけど・・・)
 だから英語が上手く使えるようになれたらいいなあ!と漠然とした思いはいつもあった。高校中退=ドロップアウトなので高校での英語学習の蓄積は皆無に等しい。

 現在程、NOVAだのイーオンだのコンビニのような英会話スクールが興隆する前は、英会話のテープとレコーダーと教則本をセットのした英会話教材を、高っっっっく売りつける商いがありましたね。

 ちょーど一人暮らしを始めたミャーボー10代後半のころ、電話で英会話教材を売りつける勧誘にあった。
「英会話うまくなりたいと思いませんか?」
声の主は若い女性だった。(と思う)
「べつに思いません」
「えええっ!うそ!そんな人に会った事ない!面白い!あなた射手座よね?私と相性よさそうよ!教材買う買わないは別に、こんどお茶でも飲まない?」
上手いもんだね!実にカジュアルに誘う。『でも何であんたが俺の誕生日知ってんだよ?!』と思った。パソコンが普及する前から、個人データは売買されていたんだ。

 当時、僕は女性に対してはいささか弱かったから、会ったら最後、買うはめになりそうでせっかくのお誘いをお断りした。
 この英会話セットの代金は当時の僕の月収3ヶ月分くらいだった。
金がなくても、ローンを組んで買わせるのである。幸い僕は貯金もなかったし、他に買いたい本やレコードがたくさんあったから、断ることができた。
 もし、小金を持っていて、自分は何を学んでいこうか?という明確な目標がなかったらこういう誘いに僕だって乗ってしまったかもしれない。

 まあ!最近も見かけるけど・・・バブルの頃、ゴミ捨て場でずいぶんこの手の英会話教材を目撃したものである。この手の英会話教材で英語が飛躍的に上手くなったという人がいたらお目にかかってご高説を拝聴したいものである。

 同じことはNOVA他コンビニ英会話学校にも言えるのではないかな?
NOVA他で英語が飛躍的に上手くなったという人がいたら・・・・・やはり、お目にかかってご高説を拝聴したいものである。
 この手の英語コンプレックスを標的にした商いの勧誘の常套句は「手軽に英語が習得できる」なんて言うのが多い。NOVAの『お茶の間留学』なんていうのは、その典型だと思います。
 個人差はあるだろうが、所詮『語学』というものは努力に見合った成果しか現れないものなのだろう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 前置きが長くなりましたが、 英語に憧れていたのに苦手だった僕が、NOVA他に引っかからなかった(言い過ぎでしょうか?)のは『イデオロギーとしての英会話./ダグラス・スミス晶文社』を少年のころタイトルに惹かれ読んでいたからだ。
 僕は硝子の少年のころ『イデオロギー』という言葉に異常に過敏だったのだ。
いまは『イデオロギー』なんていうものには『コオロギ』程度の関心しかない。

 手元に本がないので記憶をたよりに内容を紹介させて頂きますが・・・・

 ダグラスさんは大学を出て京都大学の英語教師として赴任したのは、1960年代のことであった。京都大ess(なんか良く解らんが英会話が好きな方達のクラブ活動らしい)が関西圏の英語を母国語とする留学生を集めて、交流キャンプみたいのを行った。ダグラス先生は顧問のような立場でキャンプに参加したのである。

 英語を母国語とするのは何も、イギリスやアメリカだけでない。帝国主義時代に彼らが植民地にしていたインドやアジア・アフリカ諸国だって、もともとあった言語を奪われ、英語を母国語としている方々もたんといるのである。キャンプにはインドの方やフィリピンの方やシンガポールの方やアフリカ諸国の方々も参加していた。
 しかし日本の知識人予備軍としては最高峰の京大ESSの学生諸君たちが群がったのはイギリス.アメリカ、オーストラリアの方=白人の留学生ばかりで、ダグラス先生はアジア・アフリカ諸国からの留学生が寂しそうに孤立しているのを目撃してしまうのであった。

日本の英会話におけるイデオロギーというのは何かというと、とどのつまり白人中産階級への憧憬であり「アメリカ市民の生活は民主的で、自由で、快適で、文化的であり、競って模範とされるべきである」=(それはとても奇妙なことだと)いう思いにダグラスさんは至ったわけです。この時の体験がダグラスさんを本書を執筆させた大きな動機ではないかと僕は思います。

 さらにダグラス先生は京都大学の英米文学研究では輝かしい研究成果をあげていた先輩教授に「ぼくの給料はダグラス先生の半分にも充たない」という言葉を聞き激しいショックを受けたのである。大学出たばかりの研究の成果などない自分が!と思ったわけですね。
 でも当時の日本はヌードだって金髪ヌードモデルはたいへん価値があったのだ。ネーティブの発音を発音できる白人の先生は大学のみならず.当時から市井にあった英会話学校でも高額な給料が保証されたいたのである。

 高額を保証された白人教師は何を日本人の生徒のために何をしたのか?例文をただ読んだだけです。
『さあ、それではビルさんに正しい発音のお手本を示してもらいましょう?』とただ英文を読むだけである。
 そういう英会話学校の無意味さ!黒人やアジア人の(教養があり、母国語(英語)の言語能力も高く、日本人及び日本文化の理解を示す人々)がいても、英会話学校の教師には採用されなかった。バカでも見てくれのいい白人が採用されたのだ。だって例文読むだけだもん!
 日本に来て英会話学校に職を得て、安易に高給を取る外人=白人の人々を、世界でもっともプライドの足らない人間たちだ!とダグラス・スミスは批判している。

 この愚かさは、ダグラスさんは直接には書いていなかったと思うが、
私たち日本人の英語を学ぼうとする姿勢も批判に曝されているのである。

 また当時会話学校でさかんに使われた、パターン・プラクティスメソッドというのも、痛烈に批判していた。
 旅行会話本なんかにある、空港で/ホテルで/レストランで/飛行機の中で/免税店で・・・・・使える例文を暗記するヤツだ。こういうパターン・プラクティスメソッドからは、真の文化交流など生まれないし、英語のスキルアップという点でも、全く思考を放棄したこのメソッドでは進歩なんか望めないのだ。
 ダグラスさんはつぎのような例を紹介していた。

 とある観光地で一人の男(日本人)がダグラスさんに近づいてきて「英語で話しかけてもいいか」と言い、どこからきたのか、どのくらい日本にいるのか等々お定まりの質問を浴びせてきたという。
 まったく情況にかなっていなかった。彼の言ったことはすべて、真実ダグラスさんに向けて言われたのではなかったし、彼はその答えに真実興味を持っていたわけでもなかった。
 彼はまったく私に話しかけたのではなく、ダグラスさんの存在がたまたま彼に思い出させた外人という、彼の心のなかのステレオタイプに話しかけたのであった。ダグラスさんに話しかけていたのは、彼自身でもなかった。彼が暗誦した文章は型にはまったお定まりで、その文章と彼自身の性格、考えや感じ方との間に何らかの関わりがあると信ずるのはむずかしかった。それはむしろ、二つのテープ・レコーダーの間でなされた会話であった。

 おしなべて日本の英会話学校ではこの程度の英語ができる人間を育てただけで、世界を理解することに『日本の英会話イデオロギー』は何の役にもたたないと言うことだ。
 
ネィティブのきれいな発音ができるにこしたことはないが、それよりも大事なのは自分の考えで会話できることの方が大切だし、語るべき自分を確立することこそが一番大切なのだ。
 その意味でもネィティブの教師100%を強調する英会話学校はそれだけで十分いかがわしい存在なのだ。

 僕はダグラス・スミスの『イデオロギーとしての英会話』からだいたい以上のことを学んだのだ。これから英語を学ぼうという方にはぜひ読んで欲しいと思うのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 ダグラス・スミスさんは定年まで津田塾の教授を努め、現在は沖縄に住み、憲法9条を守るべく活動をなさっているそうです。僕はダグラスさんが津田塾にお勤めのとき、国分寺の日本の女性シンガーソングライターの草分けの中山らびさんのお店『ほんやら洞』でお見かけしたことがあります。すごっく話しかけたかったけど、自分が一方的の知っている人の『よおっ!」なんて話しかけることは粋ではないと思い話しかけることはしなかった。でも ダグラス・スミスさんが沖縄に行ってしまったいま、ちょぴり後悔しているのです。





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Last updated  2007.06.15 07:29:47
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