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カテゴリ:お食事
信濃路はすべて江古田の商店街の中である・・・・・・・ うむっ!簡潔で素晴らしい書き出しだしである。 僕の文章はいよいよ名人の域に近づいているのかもしれない。 でもね。どこかで読んだものに似ているような気がする。 そういえば・・・・ 『木曽路はすべて山の中である』(夜明け前)島崎藤村 というのがあったね。 あっ、また剽窃と指摘されかねないパチリをやってしまいました。 今回は江古田『信濃路』をめぐる迷宮的三角関係(注1)のお話なんだよね。 『信濃路』はなかなか素晴らしい居酒屋・食堂なんです。友達が江古田を訪ねてくると、たいがい案内する。案内するったってお支払いを受け持つわけではないのだ。 「いい店ですね・・・」 「なっ!いい店だろっ!いい店おせーてやったんだから、おめー払っておけよ~」という展開に持ち込む魂胆なのだ。 魂胆は卑しいのだが、その一方で、私は虚栄心が強く、つい、格好をつけるところがある。 先日も我が日常的飲酒同盟焼酎派の小久保君と☆君の三人『信濃路』で会食をした。 僕たちは、まず『まぐろのぶつ切り(400円)』『冷やしトマト(300円)』『ひややっこ(200円)』と生ビール大(600円)で乾杯。 この『まぐろのぶつ切り(400円)』が量も味もなかなか良い。信濃路は専門(っていうのかな?)は、/すきやき/しゃぶしゃぶ/ビーフかつ/などの牛肉方面である。 だが、オーナーの兄弟が、すぐ近くで寿司屋をやっていて、魚を分けてもらっているらしいので、魚方面もなかなか充実している。 一杯、飲み終えて生ビールを追加したころ、いよいよメインディッシュの「しゃぶしゃぶ定食(1050円)」を注文。これがね!すごっく内容が良いのです。 信濃路は、我が木造モルタル築35年の高級インダラ(注2)マンションから徒歩15分です。徒歩3分のところにファミレスチェーン系しゃぶしゃぶ専門店『どん亭』というのがある。 『どん亭』のしゃぶしゃぶ定食(並)も980円だったと思うが、 内容において『信濃路』にだいぶ劣る。まず牛肉の質が信濃路の1050円は『どん亭』のしゃぶしゃぶ(特上1580円)くらいである。 肉の量は信濃路が1・8倍。野菜に至っては5・3倍ある。(計ったわけではないが・・・・) 『どん亭』でしゃぶしゃぶ定食を頼むと、つい野菜の量が物足りなくて、野菜追加(200円)を追加。肉も追加(並で580円)結局けっこう高いものになってしまう。そして最も大切なごはんの質。『どん亭』のごはんは美味くない。 でも『どん亭』には、僕のタイプの切れ長の憂いのある美しい眼のアルバイトのお姉さんがいたのだ。だからね、ちと余裕のある時に・・・・僕はしゃぶしゃぶ方面を食おうと決意した時、どちらに行くべきか・・・激しく煩悶するのである。 冒頭、迷宮的三角関係(注1)と記したのは、このどちらで『しゃぶしゃぶ定食』を頂くかという、私の身悶えするような煩悶を表現したものなのである。 『どん亭』は近い!さらにタイプのお姉さんがいる、しかししゃぶしゃぶの内容は『信濃路』が圧倒的に勝っているのだ。 ここが目下のところ、僕を一番悩ませる問題なのである。 もっと質の高い悩みはないのか?!という指摘を友人からうけることがありますが、このしゃぶしゃぶ問題こそ我が人生上の最大の悩みなんですね。なんか情けないような気もするが・・・・・・・ 僕の友人でこの両方のしゃぶしゃぶ屋さんに連れていったのは、かみ様と小久保君である。 若くして命を断ったかみ様(注3)は、圧倒的に『信濃路』が好きだったのである。 かみ様はしゃぶしゃぶ定食を食べながら 「うめーな!うめーな世の中にこんなうめーものがあったのか」と言いました。 僕はかみ様のこの名言かつ暴言を聴きたくて、何度もかみ様に『信濃路』のしゃぶしゃぶ定食を奢ったものです。 天気の良い日は、かみ様は僕のところに子供用16寸のタイヤの自転車でやって来ました。下駄をつっかけて、はるばる猫宮ゲットー地区の、やはり木造モルタル建て築40年の『つつじ荘』=神殿(注4)から足を江古田まで運ばれるのであった。きっと僕に会いに来たのではなく、信濃路のしゃぶしゃぶか江古田魚河岸寿司の『ネギトロ巻き』を食べに来ていたのだ。と思う。 かみ様は「ミャーちゃん!ねえ元気?」とアパートのドアーをノックしながら大声で叫ぶのであった。 「大声で叫んでいるのだからノックしなくても良いのに・・・」と思った。僕はかみ様の振る舞いに、いつも無垢なるものを感じてしまい、かみ様の為すことは僕の出来る範囲で受容しようと思うのだった。 さて我が焼酎派の宴は、さらにしゃぶしゃぶ用肉(並)二人前追加。お飲物はビールからレモンサワーに変わり、かみ様の想い出などを語ったりしながら夜は更けて行くのであった。 お勘定は10000円ぽっきり。僕はこの10000円ちょうどというお会計に「??」 そんな訳あっかよ!と険しく眉間に皺を寄せた。 冷静な☆君が「まあまあ・・・ミャーボーさん、きっと端数何十円かオマケしてくれたんですよ」と語ってくれて、金銭問題およびお食事方面で激しやすい、僕を諭してくれたのでした。 ここだけの話、僕は居酒屋のお勘定を、店員の態度に腹を立てて、踏み倒したことが何回かあるのです。冷静な☆君がいるとそういうことが起きないので、安心なのですね。(あと御夫人方面問題でも激しやすいそうです) 僕はあわよくば酔っぱらったふりして、2人に奢らせる、せこい算段なども働いたわけなのだが、だけどね・・・・いくら酒に弱いからと言って.生ビール大2杯とレモンサワー1杯で酩酊しては男が廃るので、ポケットの中の6500円から5000円を出し、「おう!俺がこれだけ出すからよ!足らない分はおめーら払っとけ!」と偉そうに胸をそらしたのだが、小久保くんも☆君もまったく感謝しているようには見えなかった。 そりゃそうだよね。しゃぶしゃぶ食うと決めたのも僕だし、生ビール大を決めたのも僕だし、つまみ3点決めたのも、肉の追加を決めたのも僕だし・・・・まったく場を仕切ってしまっているんだもん。 我が同盟の集まりで、宵がふけて、酔いが回ると行くところはカラオケなのだ。 江古田カラオケ館の14号室(面積約7・5平方)にて、この日のカラオケは、かみ様追悼、さらに日本歌謡史に燦然と輝く作詞家、阿久悠を追悼するカラオケの様相を示してくるのであった。 かみ様追悼ということで各々ローリングストーンズの持ち歌を唄う。 僕は自分で言うのも何ですが、なかなかの芸達者だ思う。 お勤めしていたころは、労働組合末端組織の青年部書記長などをやりながら、その本質は宴会部長だったのである。 人に喜んで頂けるのなら膝まづいて足の指だって舐める(注5)ことだって厭わない,生まれながらの幇間体質の人間なのである。古典芸能に詳しい人々はミャーボーは現代に於ける『一八』(注6)であると断言する人もいる。 ☆くん唄う『ブラウン・シュガー』でミックのダンスをするミャーボー。小久保くんの『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』でまたまたミックのダンスをする。もう全エネルギーを放出してヘトヘトになってしまいました。 新宿ゴールデン街入り口のカラオケバー『チャンピオン」でかみ様のストーンズの歌唱と僕のミック・ジャガーダンスで万国より集まってきたチャンピオンのお客をただただ呆然とさせたものであります。かみ様ともう一回あの狂熱のお馬鹿パフォーマンスをしたい・・・でもかみ様はもう僕たちの心の中にしかいない。と思うと涙腺の緩い僕は、阿久悠作詞/三木たかし作曲/岩崎宏美歌唱の『思秋期』を唄いながら涙をボロボロこぼしていたのでした。 さて前置きが長くなりました。 「ええええええっっっっっ!まだ前置きだったの?」と そうなんです。75000年も生きている(注7)老人の戯言は長さだけが取り柄なのです。 信濃路は江古田北口商店街外れにあります。 僕が初めて信濃路を訪ねたのは、もう20年近く前のことだ。 さらに遡ってその5年前の『朝日ジャーナル』記事である。僕は大宅壮一文庫で70年代前後の古い週刊誌をなんとなく読んでいた。 そのとき読んだ『朝日ジャーナル』の記事で東大全共闘の指導的活動家だった中岡庸二(注8)という人についてのレポートである。 『東大闘争に敗北後、ブラックモスリムとりわけマルコムXの著作の影響を受けて,近代資本主義文明は欧米白人により支配イデオロギーであり、この支配イデオロギーに対抗できるのは、全ての非白人の連帯とキリスト教以外のあらゆるあらゆる宗教の連携を求めるしかなく宗教においては弱者(貧者)の宗教イスラム教が要になるだろうと、日本のイエロモスリムの祈祷所(注9)を練馬羽沢町のアパートの一角に開設した』 という中岡氏を紹介する記事があった。 記事には詳しい番地等はなかったが写真が載っていた。朝日ジャーナルの記事を読んで、ぼくはふとした好奇心から、大宅文庫でコピーした一枚のモノクロ写真を手にイエロモスリムの祈祷所を探してみようと、練馬区羽沢町周辺を歩き回ったのであった。 中岡庸二氏はまとまった著作はないが、その後、新宿にあった模索舎(注10)で 『ネーション・オブ・イスラムとマルコムX』(390円)(注11)という小冊子を購入したことがあります。 この小冊子のなかで中岡は・・・ 1、マルコムXは、あの忌まわしきレイシズムの団体、KKK(注12) の幹部と交流を持っていたことがある。有色人種を排斥し白人だけの王国を主張するKKKと アメリカに於ける黒人社会の分離/独立を主張した、マルコムたちの主張が利害に於いては一致するのであった。 2、マルコムたちの運動は,当時の『アート.アンサンブル・シカゴ』などのアメリカ前衛ジャズのミュージシャンに影響を与えていた。(注13) この2点の中岡の主張は僕にとってとても印象深かったのである。 奇しくも、白人と有色人種の和解的融合を説く穏やかな非暴力抵抗運動で公民権運動で世界に名を残した、マーティン・ルーサー・キング牧師も 「黒人の自由への歩みへの生涯になるのは善意の人(白人リベラル派を指す)が寄せる上滑りな理解は、悪意の人々(KKK など人種差別主義者)が持つ絶対的誤解より、ずっと面倒なものである』と主張していたのです。 キング牧師は死後、少ない国民の休日に名を冠せられた。さらに僕がフラフラと米国を歩き回っていたときに、ロサンゼルスを始め、大きい都市でマーティン・ルーサー・キングの名前がつけられた通りを見たことがある。 だがマルコムXストリートというのは見たことがない。 公民権法が確立しても、黒人の貧困問題が解決したわけでなく、法の下で差別は少しずつ改善されても、経済格差は進行し、学問を修め、世の中でよりよいポジョションに立つ機会を奪われている、黒人貧困層の若者たちの荒ぶる精神にマルコムXは影響を残していると、UCLAのジョン・オブライエンの「ヒップホップカルチャーの源流としてのマルコムX」(注14)(日本では未翻訳)に詳しく、今日の黒人貧困層の問題点が記述されている。 そのころ、僕は日本の『イエロモスリムの祈祷所』を突き止めることに夢中になっていたのである。休日は羽沢町周辺を歩き回った。相当歩き回って徒労感を感じはじめたころ。商店街の外れで『信濃路』を発見したのである。 初めて入った信濃路には、風采の上がらぬ一組のカップル(ここを一瞬アベックと書きそうになって、ジジイであることがばれてしまうと思いあわてて修正したのである)がいた。 カップルを横目に僕は『牛タンとろろ定食』950円を注文したのであった。(次回に続く) この話の続きと、脚注の解説は次回記載させて頂きたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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