|
カテゴリ:コーチングとコミュニケーション
「あなたはそれをやる人だと、僕たちは知っています」
ずいぶん前のことです。 そのトレーニング中、私は激しく動揺しました。 自分の嗚咽に驚いて怖くなるほど泣いてしまったのです。 なぜならば、私の中に見えたのは、 青い空洞であり、そこには あまりあまるほどの悲しみと苦しみがあったから。 その穴は私の中にあり、外に向い、 世界につながっていました。 たくさんの飢餓と飢えて死ぬ子どもたち 虐待の中、救われずに死んだ目になった子どもたち 暴力と略奪、家を持てない逃亡者たち いじめにあってうつむいて歩く子どもの姿 TVで、雑誌で、近くで見てきたそれらの 哀しみと苦しみが一気に胸からあふれてしまいました。 しかし、それまではずっと、 そこに焦点をあてないようにして 見たいものだけ見ると決めて意志の力で、 無意識にコントロールしてきたのです。 なぜならば、それを感じたところで 私には何もできないから どうしようもないから それにそれを感じたならば 辛すぎるから 痛すぎるから でも、見ずにはいられない私、感じてしまう私がいたのです。 そして、それらを見まいとしていた私、 感じないようにシャットアウトしていた私に 私はその日、直面してしまったのです。 だから、悲しくて悲しくて 悲しみに胸がつぶれそうになり どうしたらいいの? 私はこれを知っている。 私はこれを見ずにはいられない。 見て見ぬふりがもうできない! そんな私に、 トレーニングのリーダーが言いました。 「あなたはそれをやる人だと、僕たちは知っています」 おじけづいている私にそう言ってくれたのです。 私にできる? なにかが、できる? 魂の渇望、そのものを承認してもらえた。 それは記憶にある限り、生まれて初めての体験でした。 そして、あれは、私にとって人生最大の承認でした。 思い出すだけで、胸が熱くなり、今でも、泣けてきます。 承認されてはじめて ああ、そうか。私もこうしたかったのだと、 あのとき、分かったのです。 私は本当は「それ」をどうにかしたかったのだと。 私はあのときから「それ」に対して 無力ではなくなりました。 世界にいくら「それ」があろうとも 私にできることは目の前の人の力を信頼することです。 本当に全体から観れば 砂粒ひとつほどの小さなことかもしれない。 それでも、やるのです。 やりたいのです。 砂粒でも集まればいずれ砂丘になるかもしれない。 でも、そんなことよりも、「それ」を減らすことが 「それ」を癒すことが 「それ」を学び変換することが 私の生きている意味となることを、私は私に認めたのです。 私は人は変われると信じています。 決して無力なんかではないと。 どんな経験も必ず生きる未来があることも。 そう信じて相談者様と関わるとき 私にはすでにそのかたが成功している姿が 見えてしまうのです。 そのかたの悩み、それ自体が必要であったことや 貴重な経験となることも 魂の強さも、乗り越える姿の美しさも。 答えは自分の中にありました。 でも、その答えは 誰かが認めてくれたから 勇気をもらえたから 自分にオッケーを出せる瞬間と出会えたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[コーチングとコミュニケーション] カテゴリの最新記事
|