|
カテゴリ:旅行、リゾート
今、シンガポールにいます。
お正月休みをここで過ごすために娘ときています。 シンガポールは、ほどよく都会です。 不自由さとは無縁の整備された環境、 アジアにありがちな貧困の不潔さもなく 中国、マレー、シンガポリアン、 インド、イスラムとたくさんの人種の数だけ、 ありとあらゆる食事が用意されています。 治安というか法的規制は日本より厳しいようです。 空港や駅もきれいに管理されています。 そのうえ、物価は日本の1/2 から1/3なので アメリカにいるよりも、外食にお金がかりません。 だから、過ごしやすいといえば過ごしやすいのですが。。。 安全すぎると感じるのか、決まりきった感じがするのか なにかが足りないと思うのは 子連れ旅行だからでしょうか。 それとも、そういう年なのかな。。。 そんな中、TVではプーケットやインドの大津波の 被害が連日、放送されていて、見るたびに心が痛みます。 大事な家族を失い、家屋を失った涙と慟哭が伝わってきます。 こうして自然災害や人的な災害で、人の命がもろくも奪われてしまう。 見れば見るほど、世界は理不尽に満ちているように思えて あまりにも痛みが大きすぎて、 目を閉ざしたい気持ちがどこからかやってきます。 ついた翌日にローカルのマーケットに行きました。 マーケット大好きなのです。 地元の人が食べているところに行きたいのです。 ここはマーケットとしては有名なところだそうで (名前は忘れました。。) 売り場は消毒液の匂いとドリアンが混ざり合って、 頭痛がするほどくさかったです。 そこで売られている生きた蟹を見ていると、 彼らはもぞもぞと動いて一斉に顔をこちらへ向けました。 おお!! 伝わったのかしら。←何が? もう一度、見ると、また顔をこちらに動かして、 目が合いました。 うう!! この蟹ももうすぐ誰かに食われてしまうのですね。 何のために生まれてきたんでしょうね。 災害は人の命をざっくりとさらっていくけれど、 私は魚も食べれば豚も食べます。 蟹さん、あなただって大好物です。 (さすがに今回は食べないけど) こうして、命をいただいて生きている生き物です。 翌々日は中国の寺院に行きました。 ともした線香を頭上にかかげて ローカル人のやりかたを見よう見まねして祈りました。 「私たちが、その命をまっとうするために 必要なものを得ることができますように」 たくさんの祈り人がそこにいました。 祈りの数だけ、それぞれが幸福を願っています。 たくさんの祈りとたくさんのいのち。 その重さは均等。 蟹であれ、人間であれ、本当は均等。 命の負荷は周囲がかけるものだけど 命の意味はつけずとも燃え立つもの。 だからこそ、 端で転んで泣いている子供を抱きかかえて あやすように、 目の前でやれることをやるしかないのです。 その少しでも、波紋に似て全体に 関与していくと信じてやるしかないのです。 なぜかセンチな旅です。 やっぱり大好きなプーケットが津波被害に あったことはショックだったようです。 シンガポールは私にとって楽園というよりは なぜか死を意識させる街でした。 私は死ぬとき、必ず二つのことを思うような 気がします。 頭をたくさん下げるでしょう。 握りたい手がたくさんあるでしょう。 加害者であり被害者であり、 その、どちらでもない私がそこにいるような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.14 04:22:29
コメント(0) | コメントを書く
[旅行、リゾート] カテゴリの最新記事
|