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ライフコーチあまみ 悠の『優しいきもち』

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カテゴリ:ぽちっと思うこと
子供に関係する事件が増えているような気がします。
TVを見ない私でも、誰かが教えてくれます。

今回の痛ましい事件、
小学6年生の女の子の姿が浮かび、心が痛いです。
言葉になりません。ただただ、胸が痛いです。


加害者の塾講師の追いつめらた姿も、浮かびます。

常軌を逸したその行動。

もしも私が彼ならば、、、

なんでそんなことをしたのだろう。






・・・・もちろん、立場をまったく同じようには想像はできません。

けれど、分かっているのは


加害者は被害者。


これに例外はありません。

ここから話すことは、あくまで仮定ですし、
加害者を保護するつもりはありません。
ただ、視点として持っていることは。



少なくとも、彼にとって
その子供は脅威だった。

その子供の言動ひとつひとつに、心がかき乱され
その子供にまつわる評価で、自分の価値が変動する。

自分の価値を左右する存在として、その子を
感じてしまった。

それはまるで、幼く力ないころ、親の愛情を
獲得するために、自分を曲げていったときのように。

そして、または恋人の言動ひとつで幸不幸が
決まってしまう、不安定な関係に揺られているときのように。

自分の存在価値は、この人に左右される。

そんな存在として、その子を認知してしまった。

ということが、彼の中に起きていたのかなと
、立場を置き換えてみると、そう感じました。

それがなぜかは分かりません。
けれど多分、彼はその子供に「何か・誰か」を投影したのでは
ないでしょうか。

あんなむごい事件を起こすほどに、
彼は何を守りたかったのだろう・・・




私は昔から、子供の虐待事件やマイノリティへの差別に
関するアンテナが敏感でした。

そういった事件を見るだけで憤慨して、怒りに打ち震えていました。
あまりの怒り、持って行き場のない怒りでガッガッと熱くなりました。

でも、最近はこう思い直すようになりました。


裁くのは私の仕事じゃない。


実際に、私たちは法律によって裁かれます。
けれど、それよりもきついのは、
自分の大切にしている価値観に沿わない、
そして罪をおかしたと感じることをした場合、
人は、自分自身でその人生において、自分を裁いていくと
いうことです。

表面上はなんでもないかもしれません。

けれど、人は人生の中で巧妙に
自分を罰します。
例えば、

なんだか、幸せになれない
事故にばかりあう
人とつながれない
夢をあきらめてしまう

そして、自分を信じることができない。

このように、つらい思いを引き寄せて
そこから出ないというワナを創りあげるのです。


罪悪感は、自分を幸せにしないように、
自分の人生をカスタマイズしてしまいます。

実際、罪悪感は、人の人生を動かします。

それもネガティブな方向へ。



     ☆。。* ゜☆。。* ゜☆。


私は罪悪感のない世界というのを
かいまみたことがあります。
そのときに正直いって、驚愕しました。

罪悪感がないと、すべては愛なんです。

すべてが変わってしまうのです。

実際、それを気持ちよくYESと言えない自分を
発見しました。

そんなに幸せになってしまっていいんですか?

そう思えるほどに、それは天国でした。

例えば、こんな感じです。

ちょっと想像してみてください。

両親や家族、仕事仲間など、今、親しくしていて
そして、面倒をかけているなと内心思っている人を
ひとり、思い浮かべてください。

そして、自分にこう聴いてください。


「もしも、その人に悪いから、、なんて思わなくていいとしたら?」

思わなくていいとしたら、


「その人との関係はどう変化する?」


     

答えは、あなたの中に・・・ね。







      ☆。。* ゜☆。。* ゜☆。




ニュースや世評でいろいろ言いますが

「あなたは間違っているよ」と、人を批判したくなるとき、
その気持ちの種は、こちら側にあります、必ず。

外側を指差して批判する手の、他の4本の指は
いつだって、自分に向けられています。

それでも、正義をふりかざす人、正論を言うひと、
いてOKです。それも自由ですし、それによって
啓発される人がいると思います。

でも、もっと個人的なレベルでできることとして
私たちが平和を本当に望むなら、
おさめるべくは、自分のこころです。

そして、それを現実に反映させていくほうが
より理解をして、より人に優しい方法でしょう。

その逆をしようとすればするほど、
社会や加害者を「影」として扱えば扱うほど
暗闇は濃くなるのですから。


加害者の中をよく見れば、悲鳴のような孤独感や
疎外感、自己不信感が山のように積もっていることに
気づくでしょう。

そして、それを感じて痛む私たちの中にも
それと同じような影がある、かもしれないんですよね。

そんな物の見方が、「バラバラで一緒」「みんな違ってみんな、いい」
という多様性を許せる社会につながっていく気がします。


もしかして、もしかして、これも仮定ですが、、、

私たちが自分自身のくさいものに
フタをしている限り、犯罪は消えないのかもしれません。

だって、もし、人類が自分自身をごまかしていないとしたら・・・
犯罪は不可能なのですから。


そんなことも思いつらねながら、
今、感じるのは




関係者全員が、この件に隠された恩寵をいつの日か
見い出すことを祈る気持ち。

そして、遺族のかたの悲しみと苦しみが
癒える日が来ることを、こころから願う気持ち。

さらに、その内的な葛藤と、これから引き受けるであろう
苦しみを持つ被告の心に、やすらぎが訪れる日を祈りたい。


そして、私を含め、多くの人が、自分の中にある怒りや悲しみ、
恨み、許せない思いから解き放たれますようにと
心から祈ります。



そして、なにしろ、聴くこと。

聴いて、聴いて、聴いてあげよう。

心の声を。




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Last updated  2005.12.13 01:34:29
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