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カテゴリ:コーチングとコミュニケーション
天海 悠(あまみ ゆう)です。大阪でコーチング団体の
マイコーチジャパンを運営しています。 今回は、境界線についてのお話しです。 「境界線」という言葉、なじみのない方が 多いではないでしょうか。 「境界線」とは、ひとことで言えば、輪郭。 これを人に例えるならば、自分と他人を区別 するライン、それが「境界線」です。 そして境界線とは、個人であれば思考や感情、 肉体を内包した皮膚ですし、家であれば垣根。 国家であれば国境を意味します。 私たちは、自分の所属している境界線の 内側を管理し、そこで起こる事柄に責任を 持たなければなりません。 しかし、境界線があいまい、もしくは薄い 状態のとき、私たちは以下の状況や感情を 味わいがちです。 ================================================== ・他人の要求に対して「ノー」と言えない ・必要以上に罪悪感を感じる ・平気で他人の領域に足を踏み込んでしまう ・人から影響されて、自分の意志を表現できない ・相手にコントロールされやすい ・相手をコントロールしてしまう ・尽しても報われない ・自分の力以上に相手のために役立とうとする ================================================== このような状況や感情を経験しているとき、 私たちは境界線が薄くなっています。 また、夫婦、親子などの親しい関係や 上司部下などの上下関係では 特に「境界線」が薄くなることが多いのです。 他にも 「相手のためと思って忠告したのに いい顔をされなかった。」 とか 「家族や恋人に「うるさいなあ」と 言われてしまう。」 または 「なぜか周囲からあれやこれやと 心配される、それがイヤ。」 とか 「いつも否定されてばかりで 本当に腹がたつ。」 という経験をされているかた、 そして 人間関係をもっとスムーズに楽に そしてもっと分かりあえるものに したいと考えているかたに役立つ内容です。 どうぞ、最後まで読んでくださいね。 **************************************** 尊い私と、尊いあなた。 **************************************** もしも、上記のような感情や状態を 味わいやすいなあと思うのであれば 境界線を再構築するという方法があります。 それにはまず、 「私という境界線」を明確にすることから 始まります。 なぜならば、自分にとって本当は何がYESで 本当は何がNOなのか、自分自身で知らないとすると あなたのYESを他者がNOと言ったり 奪ったりしたときに、「イヤ」と言えない 可能性があるからなのです。 自分は、どんな人間なの? 自分は、何が好きで、何が嫌いなの? それをはっきりさせることが 「自分を尊重し、相手も尊重する関係」を 築く鍵になります。 そうでないと、他者と自分の境目が分からなくなって 他者の領域に無意識に足を踏み入れたり 逆に、他者が踏み入れても気づかなかったり、 言えずに黙認したりすることになり得るのです。 さて、では、ここでミニワークをご紹介します。 用意するものは、 A4の白い紙とペン、そして 三色ボールペンもしくはクレヨンなど色が つくものです。 カンタンですので、どうぞやってみてくださいね。 やりかたを説明します。 1)ペンと紙を出して、紙いっぱいに 大きな円を書いてください。 2)あなたの名前を、まん中に 書いてください。 3)その中に、あなた自身を現す単語を 20個書いてください。 どんな言葉でもかまいませんが、できるだけ 単直なほうが分りやすいでしょう。 あなた自身を現す単語のトピックとしては ・仕事 ・趣味 ・感じかた ・人生観 ・交友関係 ・外見 ・素材(肉体) ・属性(地域、社会、人間関係などが あります。 ちなみに、ワークショップの参加者 Aさん(偽名)が丸の中に書いた単語は 以下のものがありました。 「29歳 事務職 女の子が一人 家族がいる 神戸に住んでいる 料理好き O型 チワワを飼っている 寂しがりや ハーブが好き 優しい 言いたいことが言 えない」 どうぞ、思い付くままに 自由に「あなた自身」を現してみてください。 できましたか? では、次にその単語を、色分けしてほしいんです。 ここで三色ボールペンやクレヨンの出番です。 赤)「変えるのは無理、もしくはとても難しく 思えるもの」は赤で丸く囲ってください。 青)「変えたいけどなかなか変えられないもの」は 青で丸く囲ってください。 緑)「変えようと思ったら変えられるもの」は 緑で丸く囲ってください。 例にあげたAさんは、自分の名前が 書かれた円の中に、「家族がいる」と書きました。 もう一人の参加者B君も、自分の名前が 書かれた円の中に、「家族がいる」と書きました。 しかし違っていたところは Aさんは家族を赤で、B君は緑で囲ったのです。 なぜならば、B君にとって「家族」とは、 変えようと思ったら変えられるものであり 本当にイヤなら縁を切って離れるという 選択肢があるものだからだそうです。 しかし、Aさんにとって「家族」とは、 「変えるのは無理、もしくはとても難しく思えるもの」 であり なぜならば、それは当然のことだからだそうなんです。 AさんとB君。 家族に対する考え方が、一目瞭然で違いますね。 このように違う。 しかし、違ってはいるけれど、どちらが正しいとか どちらかが間違ってはいませんよね。 なのに、違うからといって、B君が 「Aさん、あなた間違っているよ」とか Aさんが「B君、考え直したほうがいいんじゃないの?」 と言ったなら、どうなりますか? なんか、イヤな気分になるのではないでしょうか? 腹がたつかもしれません。 または落ち込んだり、自分が間違っているのかな?と 自分を疑うかもしれません。 なぜならば、この円の中にあるものは、 AさんとB君両者にとって、それぞれが 「これが私、これが僕」と感じている自己認識なのです。 そこを否定されたとしたら、私たちはだれしも 少なくともイヤな気分になりますよね。 ここで大切なことは B君にとって「家族」とは、変えようと思ったら 変えられるものであり なぜならば、本当にイヤなら縁を切って離れると いう選択肢があるもの。 それがB君にとっての事実であり Aさんにとって「家族」とは、 「変えるのは無理、もしくはとても難しく思えるもの」 であり なぜならば、それは当然の事実だ。 という認識なのです。 この認識の違いを尊重することが 境界線を守ることになります。 それぞれが守っていいのだし 相手に合わせる必要はないし 相手を変える必要もないのです。 人はそれぞれ、見たいように見るし 感じたいように感じるし、それでいいのです。 なぜならば 自分の中にある「私は○○」という考えや信念は 自分で決めていいものだから。 だって、自分のことですから。 相手の中にある「私は○○」という考えや信念は 相手が決めるもの、だって、相手のことですから。 この当然の認知の上に、お互いを尊重する関わり が始まります。 尊い私が、尊いあなたの認識を尊重します。 もうひとつ、あります。 あなたの「これが私/僕」という単語には 何色が多かったでしょうか? もしも赤が多いならば・・・ それは、変えられないものを たくさん持っているということです。 これも変えられないのがイイ悪いでは ありません。 ただ、側にいる誰かが、それに対して 「早く変えたら?」 「変えられないなんて勇気がないね!」 なーんて言ったなら・・・ どう思いますか? 変えたいけど、変えられない。 それを、他者に指摘されたなら。 がっかりする? 腹がたつ? 実は、この場合、がっかりしたり、落ち込む人は 自分を責めている可能性があります。 指摘されて、「変えられない自分が悪いんだ」と 感じてしまっているからです。 逆に腹をたてる人は、正常です。 (がっかりする人が正常でないという 意味ではありません) なぜならば、変えたくても変えられないと いう難関を外部から責められるのは 理不尽ですよね。そんな理不尽さを受けて 腹をたてるのはごく当然のことなのですから。 そもそも、変えるか変えないか。 それは自分の判断です。 だって、自分の世界ですから。 もちろん、変えないと周囲の人に迷惑を もたらす。そういうことがあるかもしれません。 そのときですら、変える変えないは本人の判断です。 その判断の結果を引き受けるのは、本人なのですからね。 自分と他人を区別するライン「境界線」。 私たちは、自分の所属している境界線の 内側を管理し、そこで起こる事柄に責任を 持たなければなりません。 そのためには、まずは、自分の境界線を 知ること。 私ってこんなことイヤだな。 私は、こんなふうな自分だな。 僕はここにこだわっているな。 僕はこういうふうなのが好きだな。 ひとつひとつ、私たちが感じること 自分はこういう人間だと感じていることを 決める自由は私たちにある。 そして、それを誰にも犯されないものとして、 認めていけるとき、私たちは相手のそれをも 認めることができるようになるのではないでしょうか。 そのうえでお互いを尊重しながら、協力する必要が あることを協力しあえるとき、私たちは 本当の意味で安心感のある関係を築くことが できるのではないでしょうか。 以下の詩は心理学で有名な祈りの言葉です。 知っているかたも多いとは思いますが 多様性や自尊を示唆する素晴らしい内容だと 思うので、ご紹介します。 ~ゲシュタルトの祈り~ 私は私のことをします あなたはあなたのことをしてください 私が生きているのは あなたの期待に応えるためではありません あなたもまた、私の期待に応えるために 生きているのではありません あなたはあなた、私は私 もし、私たちの心が通じ合わなくても それは仕方のないことです そして、私たちの心が たまたま触れ合うことがあれば それは最高に素晴らしいことです 自分の境界線を尊重することは、相手の境界線を 尊重することにもつながる。 大切なあなたという存在を、本当に大切にするために 大切なあなたを思うあの人を、本当に大切にするために 「境界線」という観点、あえて一度見てみることを お勧めいたします。 ~メルマガから転載しました~ ------------------------------------------------------------------------- ☆コメントをありがとうございます。 お返事は書きませんが、励みにしています。 ● 「人生を変える☆しあわせ成功講座」 メルマガ登録すると『あなたにもできる!しあわせ成功セルフキット』を 手に入れることができます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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