神田明神
一之宮 大己貴命(だいこくさま)、二之宮 少彦名命(えびすさま)、三之宮 平将門命(まさかどのみこと)を御祭神とし、神社本庁が定めた別表神社(全国で353社)である。社伝によると、「天平2年(730)に出雲氏族・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建」された。その後、「天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀」されたそうです。また、「江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し」、「江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。」とあります。神田明神を参拝する者は成田山新勝寺を参拝してはいけない事と云う伝説があります。将門の乱鎮圧のため動護摩の儀式が行われた成田山新勝寺に参拝することは、将門命を苦しめることになるとの理由からだそうです。敷地内には神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から「銭形平次の碑」があります。石碑の場所はちょっと分かりにかも知れませんが、外神田の方向が展望できます。