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グルメなアルモ

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2004.01.28
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 都内は快晴!素晴らしくよい天気です。北陸側は雪だというのにこの天気。おしめりはいつあったのが記憶にないくらい。そのぶんだけ乾燥しているってわけ。江戸の大火。江戸時代はほとんど木造だったから、出火したらひとたまりもないわね。

 火事と喧嘩は江戸の華!

 江戸は焼け太りの町。スクラップ&ビルド。東京も再開発という名のスクラップ&ビルドですが、江戸の町もそうでした。大火の度に、日除明地(ひよけあきち)や広小路(ひろこうじ)がつくられました。これは延焼を防止するための防火帯で、幕府が強制的に立ち退きさせた空き地です。武家地の場合は日除明地。町地の場合は広小路。

 風吹けば桶屋が儲かる!大火後は、復旧工事によって材木商など建築関係を中心に江戸の町は経済的な活気があふれ、職人たちも仕事があって庶民の懐が潤いました。ですから火事をひそかに期待していたようです。それだけの理由ではないと思うのですが、実に放火が多かったのです。

 とりわけ有名なのが「明暦の大火」(明暦3、1657年)。幕府に改易(取り潰し)された大名の家臣(浪人)らの放火でした。

 明暦の大火は、1月18日、本郷丸山の本妙寺(現文京区本郷5丁目)から出火。翌日は伝通院表門の門前(現文京区小石川3丁目)。夜になって麹町(現千代田区麹町4丁目)から出火、延焼して、江戸城をはじめ江戸の町の大半が焼失したのです。

 ちょこっとメモ!味な老舗

 いなり寿司の志乃多寿司総本店

 武士だった吉益啓蔵が明治10(1877)年、好物のいなり寿司屋を人形町界隈(現中央区)で始めた。店名にもなっている志乃多は歌舞伎などの演目「葛の葉」の伝説から。狐の葛の葉が子に書き残した和歌「恋しくば たずねてきてみよ 泉なる信田の森の うらみ葛の葉」の信田(しのだ)からとっている。

 都営浅草線、営団日比谷線人形町駅、営団半蔵門水天宮駅から徒歩3分。

 中央区日本橋人形町2-10-10
 ℡03-5614-9300 年中無休。 





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最終更新日  2004.01.28 10:37:02
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