カテゴリ:旅
きのうは久しぶりにまとまった雨が降りました。今朝の東京の空は雲が一面に出ていますが、明るい!晴れてきそう。でもないか・・・。
さて、静岡で途中下車したときのお話です。1時間の時間つぶしに、みやげ物屋へGO! 独楽づくりの実演をやっていました。吸い込まれるようにそのお店に入ってしまいました。なんとそこはタダのみやげ物屋ではなかった!!(と、思っているのですが)第26回駿河竹千筋細工新作展示会入賞作品が展示してあるではありませんか!あ、江戸木目込人形のお雛様がある~~! あ、金谷土人形の話をするんでしたね。 懐かしい~~!幼いころ家の神棚に、裃を着けた庄助人形が飾ってありました。商売繁盛。一応商家だったのですねぇ~。この人形、製造が途絶えていたのです。知りませんでした。ちらしが置いてあったのでもらってきました。 子供の成長、商売繁盛などの願いを込め、また玩具として求められてきた土人形。土人形は全国各地にあり、その土地特有の色彩をもって定着しておりますが、その源をたどってゆくと大体が京都の伏見人形にたどりつくといわれています。 静岡県の土人形発生地である金谷も例外ではなく、色濃く伏見の姿を残しております。大正・昭和・平成と時代が流れ、地元の人々も忘れていたこの郷土人形が、永年調査研究されてきた古谷哲之輔氏をはじめとする「日本雪だるまの会」の協力をいただき復活いたしました。 金谷土人形 東海道五十三次の一つ金谷宿、数少ない静岡県産土人形、それも、江戸時代より作られていたのは金谷だけであろう。 江戸時代の三大農学者の一人、大蔵永常は、その著「国益国産考」〔天保十五年(1844)完成〕巻の二「雛」の項に、”近頃、名古屋遠州辺にて、作り出して鬻(ひさ)ぐ也”と書いている。 天保十五年以前に、名古屋と三河(現在の碧南市)と遠州辺にて土人形が製造されていたという証しであり、遠州辺とは金谷のことである。 製造していた家は五軒たしかめられたが、明治以降絶えてしまった。 金谷土人形は、島田千葉山智満寺の縁日で売られたという。千葉山の周辺、島田市大草、相賀、伊久美、川根町笹間渡、金谷町島、日限地蔵尊の縁日でも売っていた。 金谷町を中心として切山、布引原、佐夜鹿、松葉、真砂、倉真、等々この地では、現在でも四月の節句に衣装雛とともに、金谷土人形が飾られている。 日本雪だるまの会「木版の栞・静岡の郷土玩具」より。 きょうは節分の日です。豆まきはしますか?巻き寿司はかじりますか?14時34分現在、都内は暗~い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.10.11 12:35:20
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