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グルメなアルモ

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2004.02.26
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カテゴリ:東京観光
トワイライトというんでしょうか、夕べの東京の空は美しいかった~。きょうも東京は春の陽気です。

 土曜日は、早稲田大学から早大通りを歩き、突き当たった道が江戸川通り。ここを左に折れ、地蔵商店街のシンボル、子育て地蔵尊を見ながら、江戸川橋を渡り、音羽通りへ。もう少しよ。ここからが長かった。でも、なにがなんでもと、ラーメンの「ちゃぶ屋」にたどりつく。これじゃ、東京観光より東京散歩のほうがぴったりなんじゃないの~~。はい、お疲れです。体がいうことをききません。夜はおおあくび!昼もファ~、ファ~、とあくびばかり。

 穴八幡神社に、馬に乗って弓を射る流鏑馬の銅像があります。説明板が立っています。一つは高田馬場の流鏑馬について書かれた教育委員会のもの。もう一つは農業組合のもの。

 江戸・東京の農業 早稲田ミョウガ

 江戸時代、早稲田村はミョウガの産地としてその名を知られ、周辺の農家の人達は豊作祈願に当社を訪れていました。

 当社の北を流れる神田川流域は、かって水田が拓(ひら)け、また神田川へのなだらかな北斜面には昔からミョウガが自生していました。

 ミョウガはショウガ科の多年草で保水力がよく、しかも水はけのよい所で品質の良いミョウガが育ちます。

 徳川幕府が発行した「新編武蔵風土記稿」(1828年)にも紹介された早稲田のミョウガは、土地柄から大振りで香りがよく、全体に赤みが美しいので、薬味のほか、漬物や汁の具などに用いられました。

 ミョウガを食べると物忘れをするという言い伝えがあるものの、独特の風味は江戸庶民に好まれていました。

 明治15年に大隈重信によって東京専門学校(後の早稲田大学)が創立された以降は、宅地化が進み、水田とともにミョウガ畑も減少の一途をたどり、今では早稲田のミョウガを味わうことができなくなってしまいました。

   平成9年度JA東京グループ
   農業協同組合法施行五十年記念事業






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最終更新日  2023.01.25 18:38:22
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