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カテゴリ:ブツブツ…
今年もあと3日なんだねぇ~。
今月は本当に色々あって、ホッとする間も無いくらいの毎日で。 1日は父の退院で、主治医からとても良い報告を頂いて晴々した気持ちで病院をあとにした。 その後は、仕事に追われながらも保育園の発表会やクリスマスの準備なんかもあって。 22日は父が退院して初の外来受診日で、私が行くはずだったのが次女の腹痛で急遽予定変更。 私は次女を診療所へ、そして仕事を休んで母が父を病院へ。 退院当日の主治医からの話を心底信用してすっかり安心しきっていたもんだから、これほど衝撃的な事はなかった。 父は勿論、家族全員がそれぞれの生活を父の治療中心に考えて過ごしてきた。 一時はもうダメかと思われたけど、最後のかけにどうにか勝つ事が出来た。 と、思っていた。 退院時は、9月頃の精密検査の結果と最近の様子からの話のようで。 退院前日に取った骨髄の精密検査結果が22日にわかる事から、受診日が22日だったような話を聞いていた。 まぁ、そのー…。 退院前日の骨髄からあってはならないものが見つかってしまったんだそうで…。 主治医は一緒に病院に行っていた母だけを呼んで説明したんだそうだ。 『再発』 『悪性』 『手の施しようがない』 そんな言葉が主治医の口から…。 体力的にもう抗癌剤治療は出来ないのだそうで。 ただ、死を待つだけ。 骨髄の芽球の割合で余命もある程度判断できるらしいが、主治医にもわからないそうで。 ただハッキリと言われたのは 『来年の正月は迎えられない』 と。 そう、これが父と過ごす最後の正月になるのだ。 とにかく、なるべく家族で過ごすようにという考えからなのか、急遽22日は入院して24日に退院。 これも最後なのか、クリスマスもやって。 休診日となる前日の28日に再び外来受診。 そこでちょっと多めの血小板を輸血。 入院中ももらっていた血液検査の数値3項目が載っている用紙に先生が説明しながら書いたと思われる文字があった。 退院時には2400あった白血球も、今では1600しかない。 ヘモグロビン(赤血球)も横ばい。 血小板はぐーんと下がってしまって。。。 あと、炎症を起こしている可能性があるようで、発熱した時に飲む抗生剤や解熱剤の名前もボールペンで書いてあった。 28日には特に先生から母に話しもなく、次回は年明け、休診日明けの4日に受診となった。 見た目は元気で、私よりも母よりも体力がある父。 本当に病気なのか?と思ってしまうくらい。 手先が器用で娘達の付録やブロックなども簡単に作ってしまうくらいなのだけど、やはり爪がボロボロで細かい作業が思うようにできない。 22日に主治医が母に説明した時、父本人に告知するという話しがあったそうだ。 けど、母は絶対に父には言わないで欲しい、告知しないで欲しいと頼み込んだそうだ。 生きる気満々の父。 退院当日の説明を一緒に聞いていたから、もう自分の体にはがん細胞は消えてしまった、がん細胞に勝ったと信じている。 暖かい季節になったら徐々に体力をつけ、家の山の手入れをして、畑には色々なものを植えて、庭木の手入れもして…と希望に満ちている。 そんな父に、告知をしたら一体どうなってしまうのだろう? 少しの事でも怖い人が、そんな事を知ってしまったら悪い方向にしか…。 父には絶対に言えない。 知るのは家族のごく一部の人間のみ。 正直、これまでの8ヶ月間の入院で、特に個室の部屋代がかなり高く、生活は厳しい。 大した事は出来ないけど、これまでと同じように出来る範囲でせいいっぱいの事をするしかない。 それしか出来ない。 母は22日に仕事を辞めた。 残された時間を父と過ごす為。 精神的にも体力的にも、私自身かなり無理してきた。 主人や娘達にも色々と我慢してもらっている。 28日も今年最後の通園日だったけど、次女には休んでもらって父の受診に一緒に行ってもらった。 けど。 何も出来ない。 つくずく、無力だなぁという気持ちで凹む。 けど、凹んでいる場合じゃあないんだよね。 こうしている間にも、父の体は徐々にむしばまれていて死に向かっているのだから。 生きているこの瞬間を、大切にとは言わない。 ただ、今目の前のやるべき事をやっていくしかない。 2011年。 平成23年。 うさぎ年は父の年。 なんか、特別なものを感じてしまう。 まずは、私自身が倒れないようにしなければ。 そして、母を助けながら、私の出来る範囲で父に精一杯の事をしていこう。 そして、この病気を克服してもらいたい。 現実逃避なのか?自分でも何なのかわからないけど、これまでのようにどうにか生き抜いてきた父がここであっさりと終わってしまうとはどうしても思えない。 言葉ではどうやって表現したら良いのかわからないけど。 私がしっかりしなきゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.12.29 12:49:37
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