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最近思う事。
「真実とは一体何か?」 kotobankでは、 1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。「―を述べる」「―な気持ち」 2 仏語。絶対の真理。真如。 とある。 しかし、実生活においては違う。 うそ偽りが一切無かったとしても、他人が見て感じ勝手に判断して思い込んでしまえば、そのものが真実となってしまう。 その他人が作り上げた真実が一人歩きし、元々のあるべき姿そのものの真実が偽りとなってしまう。 当事者が真実をあるがまま語っても、他人からは嘘つきとされ全て否定される。 それが現実だ。 自分の思い、考えを強く主張する人がそれを行えば影響は大きい。 真実なんてそう大して重要では無い、と言われているような感じすらする。 実際にあった事、起った事、発言、現象…。 これらを「嘘だ」と否定されても、真実は真実。 勝手な思い込みや歪んだものでねじ曲げられ、それを真実だと主張されても、それこそが嘘なのだからどうしようもない。 でも。 他人の作り上げた真実の方が、何故か真実として受け入れられやすかったりする事も多々あるわけで。 あまりにもそれが酷いと、当事者はもうどうでも良くなり、 「どうぞ勝手に、好きに作り上げてくれ」 という気持ちにすらなる。 色々な意味での諦めだ。 世の中、いろんな事がそんな風になっていて、本当の意味での真実というものが何なのか? 実際に現場で見て感じ、当事者の話を聞き、自分の主張を入れずに出てきたもの、それがその場で起っている真実なのかもしれない。 見た目での判断が大きいから。 思い込みも大きいから。 「これはこういうものだ」といった決めつけも大きいから。 実際に経験している人にしか、分かろうとすらされない事。 それが真実なのかもしれない。 おもしろおかしければ真実なんて要らないのかも。 自分の経験から、何となくそんな思いが出てきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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