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彼女は日本人のガールフレンドがいるけど、私もジェニファーが好き。」 なんのためらいもなくクリスそうは言った。 そう、ジェニファーとは同じスクールで講師をしているジュリア・ロバーツだ。 アメリカに住んでいる頃から付き合っているケイと、日本に来てから出遭ったジェニファーをどちらも好きだと悪びれた様子もなく話した。 私の思考回路はパンク寸前だった。 なんだか今まで好きだったクリス達が汚らわしい人間に思えてきてしまった。 決して私が純真無垢な人間というわけではないし、これが男女の事なら五万とある話のひとつとして聞くことができた。 でも、女同士の卑猥な行為をどうしても受け入ることができなかった。 それから私達は全身に走った嫌悪感を笑顔で隠し、クリスと別れた。 ひとりになり、私が今まで出遭ったゲイピープルを思い出してみた。 新宿や六本木・・・遊び上手な大人に面白半分で連れて行ってもらった‘おかまバー’にいた楽しいゲイ達。 または、サンフランシスコのゲイバーでハードゲイ達が交わしていた卑猥で濃厚なキスシーンや、NYでの異様なゲイパレード、そしてさっきゲイバーにいた美しい男女達が走馬灯のように頭に浮かんだ。 どの場面も私にとってはエンターテイメントであり、かけ離れた世界であった。 その時の私は、ゲイという特殊な世界を蔑み、その人種とクリス達をリンクさせることをどこかで拒んでいたのだと思う。 しばらくして再びクリスとジェニファーに会った。 クリス達は、肩の荷が下りたようなどこかすっきりした表情で、自分がゲイだと認識した時のことや、それを世間に隠して生きていくことの辛さを語った。 結婚や出産を普通に望む家族を悲しませないために、隠し通すという選択した彼女達の優しさも知り、涙がこみ上げた。 ジェニファーの彼女という麻美にも会った。 想像していた派手な容姿とは異なり、どこにでもいる普通の明るい女の子だったことに驚いた。 麻美のゲイ仲間の何人かにも会った。 「え?この人がゲイなら、もしかしてあの人もゲイでは?」と会社の人間が数人思い浮んだほど、普通よりもむしろ地味なタイプだった。 みんな世間には隠し生きている分、こうやって同じ境遇の人たちと会う時の開放感を喜んでいるように感じた。 自分には嘘をつかないで生きていこうという姿は、人間の本当の姿にも見えた。 私の偏った認識は徐々に緩和され、知識と反比例して嫌悪感はなくなっていった。 もし、足の不自由な人がいたとしても卑猥だとも思わないし、嫌悪も感じないのと同じように彼女達は障害を持って生まれた気の毒な人たちなのだ。 でも、それを可哀想だとは思わない。 私は、その世界で言われるストレートの人間(異性を愛せる人種)。 この前クリスと行ったゲイバーで、異様な目で見られていたのはストレートの私達だった。 「クリス達は世間からいつもこうやって見られている意識で生きてきたんだ」と思うと、可哀想と思うこともゲイを侮辱していることになることに気が付いた。 そして卑猥な姿ばかりを想像して、ゲイの世界を蔑んでいた私の方が厭らしかったということも。 人間は、男と女、それとゲイという3種類の人種がいる、ということを理解できた。 まだまだ日本ではゲイの立場が確立していないけど、アメリカや外国ではレインボーフレッグを家の前に立てて主張している人も少なくないし、同性同士結婚も出来る州もあるほど認識も異なる。 「性同一性症候群」 本当の意味で理解し始めた私達を、確認するかのように新たな出来事が私達を襲った。 To be continued お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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