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昔、立川ベース(現平和記念公園)の裏に住んでた。
今の栄町4丁目の交差点から立川に抜ける道路のところまでが立川ベースだった。 地名にして緑町かな? 今は日産販売やら住宅屋さんがあるあたりは、米軍の住まいがあったと思う。 その辺に小さな神社(?)があって、そこがベースとの境界。 金網で仕切られていてその向こうにはバラ線がグルグル大きく巻かれた区切りが ベースの周りをどこまでも続いてた。 でも、どうしてだか金網の下の土に犬でも出入りするような穴が掘られていて ベースの中に無断で入る事が出来た。バラ線に引っ掛かりながら 抜けていくとその向こうは広大なクローバー広場みたいで 嬉しくてクローバーの冠を作りによくベースの中に侵入した。 もちろん米軍さんに見つかると怒って追いかけてくるので即退散。 背中に長い銃を背負ってるので侮れない。 年に一度、立川国際友好祭みたいなのがあったなあ。 立川駅から青梅線に沿った道を行ってちょうど青梅線の踏切にぶつかる辺りの TSC第二立川ビル(このビルのあったところに昔、ボロいボーリング場があった)の 道路渡った向こう側がゲートだった気がする。 ゲートを入ると芝生広場になっていて、米軍主催の日本語が全く通じない屋台が出ていた。 ジェスチャーで食べ物を買うと記念に1セント硬貨をくれた。 マイムダンスとか衣装を着こんだ米軍さんの奥さん(??なんせ日本語通じませんのでよくわかりません)と踊ったりした。 近所にハーフの友人がいた。 お父さんが軍人さんで、ベースの外の米軍住居?(日本で言う長屋)に住んでた。 お母さんは日本人で綺麗なんだけど結構怖い感じで友人はいつも怒鳴られてたよなあ。 お父さんは米人で白くて大きいでっぷりした感じで優しくて、よく基地の中のボーリング場やらプールに連れて行ってもらった。基地の中のハンバーグのケチャップは非常に口に合わなかった。でも、このパパは片言の日本語なので何言ってるのだかよくわかりましぇ~ン。 ベースの中は日本語通じませ~ン。 しかし人間どうにかなるものだ。(友人の通訳で成り立っていたかも。) 立川の栄町に今では遊歩道になってるが、ベースがあった頃は貨物車が走っていた。 線路があった。線路の中は線路わきの住民が畑を作っていたし、 1日に2往復くらいしかしない貨物列車なので線路の上を平気で歩いていた。 というより、線路に耳を付けて列車が来ないか確認して遊んでた。(踏切カンカンがないので)というより、ちょうど来た列車に追いかけられたことがある。 人間分かっていても横に逃げられない。線路の上を必死で逃げた。運転士のおじさんに 『横に跳びのけ!』と言われ、あっそうか!と飛びのいた。くらい鈍い列車である。 線路に1円玉を乗せたこともある。あれは駄目!1円玉がペラペラになると思いきや 線路にくっ付いちゃって線路の一部。損した。 ベースの物資を運んでいるのでベースから出てくる。 どこま~で続くの~この線路~ と、ある日お弁当を持って友人と徒歩の線路の旅に出た。 ずいぶん歩いた。線路の上を。終点は広い何本も線路が集まったジャンクション。 どこだ? 見覚えのある電車が見える。五日市線? 青梅青果市場の看板。青梅? あれ?駅じゃん? 『立川』 何だ、立川駅に乗り入れてんだ~。 線路内にいると怒られそうなので 同じ道を引き返しました。 なんだか、昔話かも。。。 私も年老いたものです。ちょっと思い出したので、書き留めましたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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