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カテゴリ:宝塚歌劇
第一幕のラストが、ヌードルス最大の見せ場だったと思う。あのシーン観たくて、焦がれるほど。薔薇の花弁の中に愕然と座るヌードルスの表情がたまらない。幕が下りるまで、オペラでガン見してたわ。そして、あの曲が頭の中をリフレインする。
第二幕は後半がもう、ヌードルスの余生。珍しく枯れただいもんが観られるという楽しみ方を発見した。 原作となった映画は観たことないけど、よく宝塚でこれをミュージカル化しようとしたなあ、小池修一郎。望海風斗という円熟した男役を得たからこそ実現したと思うけど。今の雪組だから成立した作品だなと。 そういえば、今回の作品、ギャングものだからてっきり最後にだいもんが死んで終わるものと思っていたけど、死ななかった…。お披露目の光降る路、ファントム、壬生義士伝と死んできたから、大劇場のだいもんの最後は死んで終わると思っていたけど、死なない作品もあるのね。 少年期、青年期、壮年期のヌードルスの演じ分けが巧みで、本当にだいもんが素晴らしかった。すごく自然に受け入れていたけど、自然にそれぞれの年代を観客に受け入れさせるだいもんのお芝居ってすごいのでは、と今更気づいた。 真彩希帆もデボラも良かった。スターになるという夢を叶えるためにヌードルスを捨てるけど、ヌードルスがまっとうな道を歩き出せば、きっと捨てなかった。でもヌードルスはその道は選べないし、選ばない。だから一幕ラストのあの別れは必然。 きほちゃんのデボラの佇まい、良かったな。プロデューサーサムの新しい恋人と部屋で鉢合わせして、自分の凋落をさとりつつ、記者会見で見せる毅然と態度にデボラのプライドを感じた。 晩年デボラがマックスの側にいたのは、マックスが表舞台に出てきたからなのか。最後まで、デボラはスターというポジションにこだわっていたのかも。 そのマックスはジミーの助けで、裏社会から表社会へ大転身。でもスキャンダルだらけなところは、昔からの性格が変わっていないからなのかも。さきちゃんのキレた感じ(頭が切れるのも、感情がときどきキレるのもどちらも)さすが。最期に懐中時計をヌードルスに返すところ、まだ大事に持っていたのかと軽く驚いたけど、そこにマックスとヌードルスの人生が詰まっていると思った。 あーさのキャロルがセクシーで素敵だった。マックスの暴力に怯えながらも離れられない感じは痛々しくて、絶妙に表現しているなと思った。だからハバナのシーンが幸せそうなのが嬉しいし、晩年その時の歌を思い出すシーンが切ない。 他に、コックアイの真那春人、パッツィーの縣千、ファットモーの奏乃はるとと橘幸も味わい深くて、雪組全体の充実度が素晴らしいと思える作品だった。 名作だわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.22 18:03:22
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