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大学時代の後輩でブログを持っている輩が何人かいて、彼らの日記を見ていると、ついつい本名で相手を呼びたく(書き込みしたく)なってしまう、という内容の日記を書こうと思っていたにも関わらず、気がつけば全然違う内容を書き上げてしまった昨日を振り返って、首を傾げる西尾環那です。あっれー?
「言霊」という言葉がありまして。意味としては「言葉にあると信じられた呪力」なんだとか。 僕はこの言霊という言葉が非常に好きで、将来生まれる自分の息子には「西尾言霊」と名付けようと思っています。娘なら「西尾言霊美」あるいは「西尾言霊代」。 言葉って生きていると思うんです。何を突然ロマンチックな、と思われるかもしれませんが。 例えば。 日記を書きました。はい、書き上げました。 「おう、今日の日記はなかなかよいねぇ。英語で言うと『グッジョブ』だ」 ところが、手違いで日記が消えてしまいました。 じゃあ同じネタでもう一回同じ日記を書いてみましょう。 経験ありますか? 同じ人が、同じ内容で書いているにも関わらず、絶対に同じ文章は書けないんです。それは何故? 言葉は生きているのだから、同じ人間がこの世に二人いないように、同じ言葉は二つないんです。 同じお父さんとお母さんが、全く同じ体位で子供… この例えはやめますか。 納得いただけましたか? 無論、持論なので異論反論かまいませんが、僕はこの事を『真実』と把握しているので、照れずに言えちゃうのですよ。 まぁ、何故こんな事を突然言いだしたのかという事なんですが。久しぶりに「詩」なんてものを書いてみたりしまして。いやぁ、昔はこっちのほうがメインだったんですけどねぇ。 結構本気で書いてまして。誕生日のプレゼント代わりに詠んだ事もありました。 まぁ、興味の無い人から見たらちょっと気持ち悪いんですかね。「誕生日に詩を書いた」と聞くと、ものすごく珍しそうな顔をして見られた事がありました。好奇心丸出しの顔で。好奇心と言っても「変な生き物がいた」みたいな感じで。個人的には最悪な気分でしたねぇ。 で。 まぁ、そういう訳で久しぶりにノートに向かってみたのですが、どうにも言葉が続かずに、中断してペンを投げ出したまま、この文章を書いている訳です。 奥の深い世界だね、まったく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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