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今日はアレですね、ホワイトデーですね。
西尾の環那さんは、バレンタインデーで全滅したにも関わらず、そういうイベント事には敏感です。 「一月は正月で酒が飲めるぞ」 という事ですな。 というわけでこんばんわ。 最近ウエンツ瑛士がどうにもムカついてしょうがない西尾環那です。 歯医者に行った都合で、さっさと帰宅した所、普段見ない時間帯にテレビを見る機会がありました。 「年の差検証バラエティ・デッドエイジ 」 物事を知っている年代の境界を探る、というバラエティ番組です。 で、ショッキングだったのが。 24歳以下は「へそで茶をわ沸かす」という言葉を知らない、とか。 「パスタ」の事を「スパゲティ」と言うと馬鹿にされる風潮。 激しくさげすまれる「ランニング」という呼ばれ名。 「タンクトップ」と呼ばれるのがそんなに嬉しいかこわっぱ!! あー。 駄目なんですかね。 いや、確かに僕も最近「スパゲティ」ってどのタイミングで使っていいのか迷います。 たらこスパゲティとか。ミートスパゲティとか。 単語に組みこまれると自然に使えますが、 「スパゲティ食べにいきませう」とは言いません。 でも、高校生ぐらいまで「パスタ」という言葉は知らなかったような。 実はいまだに「パンツ」という言い回しに違和感があったり。 そんなに駄目かね、「ズボン」って。 最近では「背広」も死語になってるんですってね? でも、語源はイギリスのセビロードという通りの名前だそうで。 そう考えると、そんなにダサい言い回しでもないと思うんですがね。 というか、気がつくと言葉が使い捨てになっていませんか? こうやって文章を書くのが好きな人間なので、ボキャブラリーが増えるのはある意味快楽なのですが、 その言葉を否定されるのは、同時に不愉快の極みだったりします。 この不愉快感はなにかな?なんて考えてみるんですが、 例えば先述した「スパゲティ」。 僕は小さい頃は間違いなく「スパゲティ(あるいはスパゲッティ)」って言っていました。 別に、スパゲティ自体、それほど好きだった訳ではありませんが、 ボキャブラリーを否定されると、当時の僕を否定されているみたいな気がして。 もっと極端に言うと、存在するかしないかも解らないけれど、もしかしたらスパゲティを作ることに必死だった イタリアのコックさんの生き様を否定しているような気がしてきて。 考えすぎですかね。 まぁ、さすがに僕も 「チョベリバ」 まで保護しようとは思いませんが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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