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「今日は何日だっけ?」
近所のスーパーで牛乳と納豆を選ぶ時には気になる事ですが、 普段は特に気にならなかったりします。 「納期? 締め切り? なんじゃそれ」 どーんと来いっ、って感じですね。 で、まぁ出勤しまして。 パソコンを立ち上げまして。 何気なく日付を確認するわけです。 「9月30日か」 …何の日だっけ? あぁ、西ドイツのゲンシャー外相が、プラハの西ドイツ大使館前に詰め掛けていた 東ドイツからの出国者を前に受け入れを表明した日か。 そうだねぇ。当時はベルリンなんかも東西に別れちゃったりして大変だったねぇ。 西ドイツにはヘルナンデス君がいて、一点取るのも至難の業でねぇ… うん、違うね。 西ドイツのキーパーはミューラー君だ。(そっちか) 9月30日。 この日付を見ると「誰かの誕生日だったなぁ?」って 脊髄反射で思ってしまうのです。 基本的に記念日とか作る人ではないので、何かの日だったな?と思うのは 誰かの誕生日で間違いはないのですが、さて誰の誕生日だっけ??と。 まぁ、すぐに思い出すんですけどね。 「そうか、大学時代の彼女の誕生日だ」って。 何故だか、誕生日って憶えてます。 別にピンクのシャツを着ながら写真を撮りたい訳ではないので、 全員の誕生日を憶えているわけではないのですが、 というか待てよ? 基本的に人の誕生日なんか憶える気もないんですが、 それでも、何人かの誕生日って憶えてます。 別にその大学時代の彼女のことを、今どう思ってるかという事もなく、 特に未練も無いし。うん。それは決して強がりとかではなく。 でも、10年近く経った今でも(うわっ、大学時代ってそんなに前か) 誕生日だけは、憶えてる。というか、忘れていない。 よく考えてみると、誕生日を憶えている人っていうのは、やっぱり大切な人たちで、 家族はもちろん、大学時代の彼女をはじめ、中学高校時代、それから大学以降、 彼女に限らず、少なくとも僕が人として愛した人たち。男女問わず。 どうやら僕は、その人の誕生日を憶えてしまうみたい。 憶えるって事は、どこかで知ろうとするんだろうなぁ。不思議。 何人の誕生日を憶えているのか、数えてみたら二桁強。 今、連絡がとれるとれないは別にして、やっぱり名前が挙がるのは僕の大好きな人。 今日まで生きてきた29年とちょっと。 その間に出逢った何千何万の人々の中で、僕の心に留まった人たち。 近くにいる人、遠くにいる人、沙汰のない人、去ってしまった人、 その愛する人たちの存在を、一年に一度、カレンダーを見て思い出す。 死ぬ迄に、この脊髄反射がおこる日が100を越えたら、 富士山の上でオニギリを食べるのも悪くない。 そんな事を考えてみたり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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