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テーマ:旧い旧い洋画(394)
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男優をABC順にピックアップしていますが、
Bの項でビング・クロスビーを挙げませんでした・ というのは彼の作品は何作品かすでに紹介していますので 省略しました。 ”我が道を往く”、”聖メアリーの鐘”、”ホワイト・クリスマス” ”上流社会””喝采”などを紹介しています。 どうぞ、ご覧になってくださいませ。 で、”皇帝円舞曲”をと思いましたが、 またの機会に取り上げてみますね。 さて、Cの項はケーリー・グラントで始めましたが、 今夜はクラーク・ゲーブルを取上げます。 彼の作品といえば、”風と共に去りぬ”でしょうが このメジャー作品は避けます。 では・・、”或る夜の出来事”や”モガンボ”も すでに取上げましたね。 そこで今夜はメジャーではありますが、 ”荒馬と女”を取上げましょう。 その前にゲーブルその人のことをちょっと。 1901年ん生まれ。 両親はドイツ移民。 ハイスクールの時代に家を飛び出していろいろな職業を 転々とした後に演劇の世界へ入る。 ”惨劇の砂漠”という作品がほぼデビュー作品のようである。 元々ギャング映画の悪役からの出発だったようですね。 それが、33歳の時に”或る夜の出来事”の主役に抜擢され いきなりオスカーを手にする。 その後は、”風と・・・”で名実共にハリウッドの大スターと なるわけである。 我々世代はゲーブル=レッド.バトラーというイメージが 定着しています。 高校時代の夏休みにマーガレット.ミッチェルの ”風と共に去りぬ”(河出書房版)三巻を一気に読みました。 その時のレッド.バトラーの印象は強烈でした。 余談ですが、その後、司馬遼太郎の”竜馬がゆく”を読んだときも同じ カルチャーショックでした.もう40年も前の話ですが。 大きな心で懐の深いワイルドな男性バトラーは いっとき、理想の男性像でしたもの。 その後、リバイバル上映でもって スクリーンで ゲーブルのレッド・バトラーに対面した時は感激でした。 そのワイルドさは”モガンボ”で受け継がれ、 そしてこの”荒馬と女”という現代のワイルドな カウボ-イに投影されています。 さて、この”荒馬と女”という作品。 なにかこう因縁めいた作品なんですね。 なでしこでも紹介しました ”セールスマンの死”・・・の原作者である アーサー・ミラーの原作、脚本によるものです。 そしてこの作品に共演している マリリン.モンローの当時の夫でもあります。 アーサー.ミラーは”セールスマンの死”で 当時の(195,60年代)アメリカの 社会の孤独と責任と倫理感を 強く主張した人です。 その彼の原作の”荒馬と女”は強く生きること、 真の男らしさと真の女らしさの歯車のかみ合いをベースに それぞれ孤独な過去を持った男と 生きる不安を抱えた女が出会って どう決着をつけるかというテーマなのですが、 この作品の完成後四日目にゲーブルは亡くなり 一年後にモンローも孤独な死を迎えている。 そしてもうひとりの共演者、モンゴメリー・クリフトも 5年後に心臓麻痺で亡くなっている。 生きることの真実をやっと見つけた男達と女、 まさに3大スターが 相次いで亡くなっているという人生の淋しさ、怖さが 浮き彫りにされ、胸に迫るものがある。 では、簡単なあらすじを・・・ ネバダ州のリノという町は離婚都市と呼ばれるほどで 離婚をしたい人々はこの都市に6週間滞在すれば 離婚が認められるため、 あちこちからたくさんの離婚希望者たちがやってくる。 ロズリン(モンロー)もそのひとりで 離婚が成立したその日にカウボーイ、ゲイ(ゲーブル)と 自動車修理工のギドー(イーライ・ウオーリック)と 知り合う。 先にギドーがそのお色気溢れるロズリンと知り合うわけだが 一目ぼれ、紹介したゲイも一目ぼれする。 しかしロズリンは多分その魅力ゆえ、男たちがいつもいつも とりまき、彼女も恋するが、失望し 男不信に陥っていると思われた。 が、彼女は心底やさしく思いやりがあって 天使のような性格であることが次第にわかってくる。 彼女の真の魅力に男たちが近づくのではなく その外見の魅力で男たちが近づいてくる事が ロズリンにはやりきれないのであった。 しかしゲイは違った。 彼女の踊りの上手さを褒め、 動物や植物に優しく接する彼女の純粋さを見抜いていた。 ゲイとギドーは少しの間この町に留まる事を勧め、 今は住んでいない郊外のギドーの家を彼女に提供した。 ゲイはそれまでこまめに働く事はなかったが 彼女のために家の模様替えや修理をして 野菜を植え彼女の手助けをした。 ギドーとゲイとロズリンはピクニックに出かけて ムスタング、つまり野生の馬を発見した。 ゲイはいつもドウインという愛犬を連れている。 ドウインはやさしいロズリンにすぐになついた。 二人の男は野生馬を捕らえて儲けようと 投げ縄の名手パース(モンゴメリー.クリフト)を仲間に入れようと 彼が出場しているロデオの会場へと迎えに行った。 パースもロズリンに一目ぼれした。 このあたりのシチュエーションはリノ.バンチェラと ドロンの”冒険者たち”を彷彿とさせますね。年代が逆ですが。 ここに来るまでにロズリンの心の葛藤も当然あります。 ゲイは離婚経験者で 妻が娘二人を連れて男と駆け落ちしたという過去がある・ パースは父の死後母親が再婚。 義父に牧場を乗っ取られたという経験の持ち主、 ギドーはといえば結婚したものの 妻は妊娠後、赤ん坊共に亡くなっているという過去がある。 彼はいつも自分を嘆いてばかりいるような男で ポリシーというものがない。 ロズリンは彼らの性格をよく見ている。 そんな中、荒馬の捕獲を男共は始める。 ギドーがぼろセスナで馬を追い集める。 パースとゲイがジープで荒縄を振り回して 馬の首にかけるわけだが、 縄の先には大きなタイヤがついていて、 走る馬も逃げれなくなる。 そこで男たちは馬の手脚をしばり放置する。 後は仲買の博労が持っていくというものだ。 分っていたはずのロズリンだが目の前で 馬が倒されていく事に耐えられない。 親子馬が三頭結わえられるところで ロズリンは限界に達する。 ”動物殺し!”と喚き、”自分たちを殺せば・・”と 男たちを責めた。 ゆくゆくは犬のえさになる馬の肉。。。 遠くから見ている犬のドウインは昨日から落ち着かない。 今までこの光景を何度も見ていて 犬の本能としていつかは自分も殺されるのではないかと 思っているかもしれない。 だから、この頃はいつもロズリンのそばを離れない。 飛行機に繋がれたまま、この光景をまたドウインは 見ているのだ。 ものすごい格闘の末、 牡馬が結わえられ、牝馬が結わえられた。 子馬は母馬のそばを離れないのが分っているから結わえられない。 この家族の捕獲は他ならない四人の人生を投影しているのを 男たちはその瞬間はわかっていない。 それぞれ家族というものに縁がない。そんな彼らが この三頭の親子馬を見てなにも感じないはずはない。 ギトーにはこれが分らなかった。 ゲイを責めたロズリンにまたもやギトーが 人生の伴侶として名乗りを挙げたがロズリンは彼を 激しく非難した。 男らしいということと 仕事として残酷な仕打ちというその違いは頭では分っている ゲイ、パース、ロズリンであった。 思い切ったパースはジープを走らせ牡馬のロープを切った。 走って牝馬の方へ先回りをしようとするゲイ。 だが放たれた牡馬が牝馬のところへ迎えに来た。 見守るパースとロズリンの前で ゲイは牡馬と一騎打ち。 牡馬はゲイを力いっぱい引きずる。 彼(牡馬)とて死ぬか生きるかの瀬戸際だと知っているからだ。 激しい格闘の末、ゲイはとうとう牡馬をねじ伏せた。 だが、その後彼のロープを切ってやるのだった。 いかなる人間の指図にも屈しないという牡馬の 抵抗に、 例えねじ伏せてもゲイは牡馬に負けたことを悟ったのだ。 自分の仕事はもうこれまでだと観念したが それを見ていたロズリンは 人間の誇りと馬の誇りの闘いに 真の男らしさを確信し、死への恐怖から解放され ゲイと一緒に強く生きていける自信を得たのだった。 パースも天使のような心のロズリンに会えて 幸せだったと言って去って行った。 ギトーはとうとう人生というものを理解できぬままだった。 繋がれていたドウインは迎えに来たロズリンに 全身で歓びを表現し、ふたりと一匹は新しい人生の一歩を 踏み出すべくジープを走らせるのだった。 前方にはあの親子馬がじゃれ合いながら駈けていくのが見える。 ロズリン、”暗闇でも道が分る??”、 ゲイ、”あの大きな星を見れば道は見失わないよ!” このセリフ”冬のソナタ”にも出てきましたよね。 考えてみればモンローという女優はあれほどに 美しく魅力的なのにいつもおどおどしている役柄が多いが、 これは彼女の地でもあるように思われる。 純粋すぎてガラス細工のように壊れそうな人・ この作品の撮影当時も恐らく神経衰弱は重かったのだろうと 思うのは私だけであろうか。 モンゴメリー・クリフトこのひとは いつもいつも耐えて耐えて耐え抜く役がぴったりとはまる。 ”女相続人”や”陽のあたる場所”、”愛情の花咲く樹” ”終着駅”などを紹介しましたが、 ”地上より永遠に”やヒッチコック作品の ”私は告白する”でも耐えぬく役がはまっていますね。 この人は意外とスターであった期間が短いんですよね。 ”荒馬と女”はもう亡くなる5年前ですか・・・ この頃はもう嘗てのクリフトらしさは出ていません。 スタートしてのクリフトは”終着駅”まででしょうね。 ゲーブル・・・ この人について行けばどんな状況でも 食わせてくれる・・・安心感がありますよね。 荒っぽさの中に優しさと繊細さもある。 同じワイルドでもランカスターと違って 粋っぽさ があるんですよね。 そこが魅力でしょう。 1961年度作品 監督。。ジョン.ヒューストン スケールのでかい西部劇をワイラーが描くと 教科書のお手本のような・・これもまた魅力ですが ヒューストンはもっと人間臭い。 ”ジャイアンツ”もたしか??かれの監督作品でしたね。 この人は俳優としても何本か出ていますが 晩年、ジャック.ニコルソン主演の”チャイナ.タウン”に 犯人役として出演していましたね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年02月05日 02時05分00秒
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