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テーマ:旧い旧い洋画(394)
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ジョン.ヒューストン監督の作品で好きな作品はというと
”マルタの鷹”、”アフリカの女王”を上げる人が多いが、 私は迷わずに”黄金”をあげる。 1948年の製作作品であるが、 ハンフリー・ボガードが珍しく、疑心暗鬼な心の弱い悪を演じている。 ボガードのボガードらしくない作品として過去に紹介した ”ケイン号の叛乱”というのがありましたが、 それに劣らず彼が悪のいい味を出しています。 なぜこの作品が好きか?? 金鉱掘りで一山あてて一攫千金を夢見るという単純なドラマの中に フランスのアンリ・ジョリュジュ・クルーゾー監督の”恐怖の報酬”にも 似たスリル感、 それと何よりもヒューストン描く、非情なまでの 人間の醜さと、 おおらかさは何よりも幸を運んでくれるというその対比を 密度濃く描いているからです。 アカデミーの監督賞、脚本賞を獲得したことも頷ける ヒューストンの分りやすく丁寧で それでいて古さをちっとも感じさせない力量のすばらしさ。 メキシコのある町から金鉱が舞台であるが、 同じメキシコが舞台の西部劇の”荒野の七人”よりも ずっと楽しめる娯楽作品であり、 ヒューマンドラマでもある。 1950年代というのはある年など年間に200本近い アメリカ映画が封切られるようになるのであるが、 その他ヨーロッパ作品を見ても 下のように 日本公開が1949年という”黄金”が上映された年に ”戦火のかなた”、”ハムレット”、”大いなる幻影”、 ”裸の町”、”恐るべき親たち”、”仔鹿物語”、 ”聖処女”、”ミニヴァー夫人”、”狂恋”、”平和に生きる” といった何かにつけ映画史に残るような名画が目白押しだったんですよね。 映画は時価のものという見方もあるように、 リアルタイムでないとという方もあるようですが みんながみんなリアルタイムで見られるものでもない。 今、ビデオやDVDというものが出来て本当にありがたい。 新作は劇場で、 旧名作はビデオやDVDで鑑賞できるのだから。 当時に世界情勢や社会情勢の中で見るから古い名作も 生きてくる・・・だから年数が経って、二度以上観るのはイヤだと いう方もあるでしょうが、 旧作も何度も何度も見て噛み砕く事をわたしは好みます。 さて、この”黄金”にはボガードの他に ジョン.ヒューストンの父君で名優と言われた ウオルター・ヒューストンが若きトム・ホルトと共に 共演しています。 で、ウオルターはこの”黄金”で、アカデミー助演男優賞を 獲得。 親子一緒にオスカーを掴んだんですよ。 ウオルターといえばサイレンと時代から活躍している役者ですが トーキーになってからの ウイリアム・ワイラー監督の傑作作品、 ”孔雀夫人”というのに出演しているのを見ましたが、 とてもいい味を出しています。 もちろん、”マルタの鷹”にも出ていますよ。 逆に、”黄金”では息子のジョンが誰かさんのように 通りすがりのアメリカ人の役でちょっと顔を出しています。 ジョンもイタリアのデシーカのように役者としても いい味を出す人で結構いろんな作品にでていますね。 前にも書きましたが、最近では、”チャイナタウン”の フェイの父親役で出ておりましたね。 そろそろ”黄金”について語りましょう。 とにかく、ボギー、ウオルター、トムの3人が出会うところから 金鉱へ向かう流れがとても上手いし、引き込まれていく。 あらすじ メキシコはタンピコという町でアメリカから流れて来て ポケットに 2ドル50セントしか残っていないというドブス(ボガード)は 同じような境遇でここにいるカーティン(トム.ホルト)と 老人・・・じいさんと呼ぶ(ウオルター・ヒューストン)と知り合う。 ここで人夫をやって稼いだ賃金を男に騙し取られたものの まだ彼奴をやっつける力は残っていて なんとか300ペソを取り返した。 食べるものもろくに食べていないドブスとカーティンが インチキ労務者監督をやっつける場面は妙にリアリティがあって 笑える。 宝くじを買ったドブスは200ペソを手に入れた。 爺さんの貯金と併せて何とか600ドルになった金を 金鉱へ向かう準備金とした。 爺さんは過去にも鉱山へ入った事があるので 道、場所、見分け方など詳しい。 まあここで出かけるまでにそれぞれの人物像が すこし分る仕組みで この先どんな事があるのか想像を掻き立てられるのが 面白いのだ。 本物の金鉱を見つけられるまでに、一番に音を上げたドブス。 掘って掘って掘りまくる。 そろそろ三人の人生観をあらわすような会話、動きが、 頻繁に出て来るんですね。 山に出かける前にじいさんが言った言葉・・・ ”黄金は人間を変える。仮に金が見つかっても 限度を知らない者が出ると困った事になる”と言った。 するとドブスは”見つけた人間による”と吐いた。 毎日、掘った金を計りにかけるが 最後に3等分するか、それとも毎日3等分して それぞれが保管するか・・・? カーティンは元々おっとりしているので最後で良いと言う。 彼はじいさんは信用しているがドブスを信用していない。 ドブスは段々と本性をあらわしてとにかく、二人を 疑う事しか知らない。 寝ている間に持ち逃げしはしないか?気になって仕方なく 言葉もあらわに二人に雑言を浴びせだした。 元々ドブスが”見つけた人間による”と言ったのに それを忘れ、”金が人を変えてしまう”その人自身になっていっているのである。 もう一生遊んで暮らせるだけの金は手に入れたから帰ろうという 老人の言葉に耳も貸さず、もう少し、もう倍は掘ると言う。 毎日3等分してそれぞれがテントの近くに隠しているのだが 夜になり、老人が外に出ると気になるドブスは確かめに行く・ ドブスを信用していないからカーティンもまた でてゆく。 じいさんは ”三人がこれを繰り返したら朝になっちまう、寝ろ!!” と言うシーンがなんとも笑ってしまう。 だが彼等には笑い事ではないのデス。 老人はカーティンにお金に変えたら何に使うかと訪ねた。 彼は幼い頃母たちに混じって桃の栽培を手伝った。 果樹園でもやりたいなあと漏らした。 じいさんは、老い先長くもないし、のんびり暮らすさ” それを聞いたドブスが まず、町で床屋に行って、それから洋服を一ダース買って、 それから女を見つけて・・・・と言い出した・ 町に食糧を買いに山を降りるときも一悶着。 ドブスがすんなりと事を運ばせなくて わざわざトラブルを起こすのだ。 町で、カーティンが測量などを買い込みに行っていて、 甘いところを吸いたいと彼に同行しようとする男と 出合ってしつこく食い下がられるが何とか断った。 しかししっかりと尾行された。 だが、彼も根っからの悪でもなく、メキシコ人の山賊が ちょうど襲ってきて彼の死で三人は助けられた。 彼の持ち物には妻からの手紙があった。 ダラスで果樹園をやっているがこの男は一山あてようと ここにやってきたらしく、ご無事で帰ってくださいと書いてあった。 いよいよ砂金を皮袋に詰め、ロバ二頭づつにくくりつけ 町へ帰ろうとするときにメキシコインディアンが現れ 子供が川でおぼれたので助けて欲しいと言う。 息もしていない・動かない・でも死んではいない・・ ともかく老人が行く事になった。 無事に子供を助けた爺さんは帰ってきたが 翌朝、またインデイアンがやってきて 一週間で良いから歓待するのであなただけ来て欲しいと言う。 ドブスが難色を示したからだ。 わしの荷は預けるから町迄持っていってくれと頼み、 歓待を受けに向かった・ こんな旨い話をドブスがほっておくわけがない。 カーテインに爺さんの金も頂こうと言い出した。 もちろんカートは断った。 ドブスは拳銃で彼を二度も撃った・ ドブスは本当は肝が小さい。カートの死体をもう一度 見に行くか行かないか自問し、 うろうろ・・・ 結局朝まで行かなかった。 すると死体が無くなっていた。 ハゲ鷹も来ていないのに何故?? 6頭のロバを引き連れ道に迷い、水も無くよろよろと歩いて とうとうあの山賊に又出くわしてしまった。 じいさんはまるで天国にでもいるような気分だ。 ハンモックに寝て、若い美人に手取り足取り 飲めよ食べよの歓待なのだ。 そこに傷を負ったカーテインが助けられてきた。 とにかく町へ降りてみようと手当ての後、 二人は馬で向かった。 一方、ドブスは山賊にロバを渡せと迫られていた。 積んでいるのは毛皮らしいと仲間内でぼそぼそ。 歯向かったドブスだが疲れ果てて抵抗も出来ない。 とうとう、殺されてしまった。 山賊はロバの背中の皮袋は全部切り落として ロバだけを持って町へ向かった。 彼等に砂金の価値などネコに小判だから。 町でロバを売ろうとしたがロバには焼印があったために 盗んだものとすぐに判明。彼等は捕えられた。 そこにやってきた爺さんとカート。 事情を聞いてロバの背中を見たが皮袋は見当たらない。 現地へと急いだ。だが猛烈な砂嵐・・・ 着いてみたがそこにはカラの皮袋が散らばっていただけだった。 砂金は砂嵐に飛ばされてしまったのだった。 じいさんは大声で笑い出した。 命が残っただけでも拾い物だと言わんばかりに笑って、 元び戻っただけさと。 ・・・吊られてカートも笑い出した。 爺さんは山のインディアンの所へ戻ると言う。 あそこへ行けばわしは神様だ。何の苦労も無しで暮らせるさと。 カーティンにロバを売ったお金でダラスまでの切符を買え、 そしてあの夫人に遺品を届けてやれ! ダラスには果樹園が待っているぞ!。 ”決まった”と笑って二人は別れたのだった。 マルタの鷹やキーラーゴに見るハードボイルドタッチがお得意の ヒューストンだが、”黄金”は 醜さの裏返しにじいさんの おおらかで人生を達観していながら 若者の行動に身を投じて また人間を凝視している。 アフリカの女王で見られるヒューストンの優しさ ユーモアは随所で見られ、悪玉のドブスことボギーだけには このユーモアは通じないと言う設定。 じいさんが現世の物欲を越えて、インデイアンの元に 身を寄せるというラストが 善意の人間の力強さとなって 心地よさを私に与えてくれた。 それにしてもボギーと組んでの一連の作品は余程相性がいいのか 素晴らしい作品が多いですね。 ドブスが町でアメリカ人を見つけては ”同国のよしみでちょっと金を融通してくれ”と声をかけるシーンがある。 その金で毎日を食いつなぐわけですが、 このアメリカ人が言う。 ”昨日も一昨日も俺に声をかけたな、俺ばかり狙わないでくれ”と言うが このアメリカ人をジョン.ヒューストンが演じています。 そして、ドブス=ボギーの答えが振るっている・ ”すまん、お金と手しか見ていなかったので同じ人だと思わなかったぜ”。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月03日 23時44分30秒
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