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カテゴリ:平和
マルティン・ルーサー・キング牧師の研究者 梶原寿氏の呼びかけで「キング研究会」なる研修会が、この6日、7日と軽井沢において開催されました。キング牧師の非暴力不服従の精神を現代において生かすことを目的に、非暴力運動を展開している方を講師として学びをしています。今回は、ウィリアム・ランドール牧師を沖縄から招きました。師は、朝鮮戦争時代に海兵隊として勤めているときに、自分自身が人殺しの機械となっていくことを感じ、人間性を失っていく恐ろしさを感じたといいます。そして、海兵隊を除隊した後、神学校にいき牧師となり再び来日しました。彼にとって、イエスの愛敵の教えこそキリスト教の中心的なものであり、それは、ガンジーやマルティン・ルーサー・キング牧師の非暴力不服従に通じるものでした。彼は、できることなら沖縄に行きたくはなかった、と思っていたようでしたが、神学生時代に一度だけ会ったキング牧師の言葉が頭から、離れなかったそうです。それは、「」でした。その言葉に促されるようにして、沖縄に関わることになりました。
しかし、彼を日本に派遣した団体は、アメリカの北部バプテスト教会が中心的となっていたミッションでした。そして、その沖縄の教会のメンバーの米国人はほとんどが軍隊や基地関係者でした。そして、そこでは、米国の戦争や軍事政策を批判することは許されなかったのです。ランドール師は、にもかかわらず、非暴力により人間性を回復することこそ神に仕える道であることを説教していました。そのために、基地の学校に通う子どもが退学させられるという嫌がらせにもあいました。また、ついには、沖縄バプテスト連盟から解任され、強制退去まで要求されたのでした。その後、師は、沖縄国際大学に招かれましたが、普天間バプテスト教会の協力牧師として働いています。 彼は、基地の影響を受けている基地の外の教会を、遠慮がちにユーモアをこめてこう称していました。「キチガイ教会」と(ちなみに、師の講演はすべて日本語で行われました。すごいことです)。 そして、人間は、お金の出所に対して批判することはよほどのことがない限りできないのだ、と語られました。それは、信仰者も信仰を持たないものも同様の傾向があるのだ、と。その関係を断ち切ることこそ、福音的生き方に通じること、イエスに従うことであると語るのです。 夜には教会の役員会があったので、残念ながら今回は講演だけ伺い、質疑応答やその他の議論に参加することはできませんでした。ただ、米国の海兵隊の訓練では、いかに人間を人間としてみないか、という訓練-それは、人を意味なくいやらしい呼び方で呼ぶことなどにもみられたそうですが-を受けるのだ、ということをじかに聞くことができました。考えてみれば、憲法9条を守る運動をしているダグラス・ラミスさんやアレン・ネルソンさんも、ベトナム戦争時代に海兵隊に所属していましたから、軍隊の最も厳しいところで人間性を失いそうになり苦しんだ経験が、平和運動へと駆り立てていることは間違いないことでしょう。 「軍隊は戦争がなくても人を殺す」という言葉を、「軍隊に勤める人の人間性を殺す」という観点からも見ることができるのだ、と思いました。 二日目は、家族を連れて、オプションに参加し、集まったメンバーの一部の方々と交流の時を持つことができました(それは次回に...)。 、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 8, 2007 08:08:56 PM
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