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Nov 24, 2007
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カテゴリ:音楽

 昨日は、北信分区の「教会音楽の集い」が軽井沢追分教会でありました。
 講師は、仙台在住の川端純四郎先生でした。(私は今年の分区の教会音楽担当ではありませんが、昨年の担当で今年の講師をお願いした手前もあり、ある程度責任を感じて関わることになりました。)
 先生は、教会オルガニストとして奏楽を究め、バッハの研究でも著書を著しています(「礼拝と音楽」誌でもバッハについて連載されています。礼拝と音楽はこちらもご参考ください)し、ブルトマンの研究者として東北学院大で長い間教鞭もとっていました。さらに、平和問題に関しても、全国を飛び回って講演をなさっています。ご自身は、自分の本分としては教会学校の教師だ、とおっしゃっていましたが、確かに、私が仙台にいたころにお話を伺ったのは、教会学校教師研修会ででした。そのときに、先生の大変謙虚で真摯なお姿に感銘を受けてたのでした。そして、いつかお話を伺いたいと思っていて、この日が実現しました。
 ということで、今回は、音楽ということで
 「現代に生きるバッハの音楽」と題しての集会でした。

 はじめに、先生がご自身の紹介ということで、牧師の家庭に育ったこと、東北大の文学部哲学科でブルトマンの研究をし、その延長でブルトマンに学ぼうとドイツに留学されたことをお話になりました。
 あれっ、音楽の話なんだけど前置きが長いなぁ、なんて聞いていましたが、そのドイツ留学の際に、船でアジアを経由してドイツに向かったのですが、それが自分の人生を変えたのだ、ということでした。
 船で、アジア各地に上陸するたびに、その地の貧困に向き合わなくてはならなかったとのこと、さらに、ドイツで中国人の友人もでき、その友人の家族が南京大虐殺の犠牲者だったことも伺い、それまでは、先生の信仰は、自分と神様だけの関係が満たされていれば良かったとのことでしたが、世の中の矛盾が信仰の問題に関わってきたのでした。この世において信仰者としての自分の課題が与えられており、世の中の問題、戦争や貧困の問題と信仰が切り離せなくなったということでした。そして、バッハの音楽についても演奏方法や技術的な評論などよりも、なぜその音楽が生まれてきたのか歴史的背景に大変興味を持つにいたったということです。
 そして、いよいよバッハのこと。バッハの時代は、芸術家という言葉は存在していなかったように、バッハは今でこそ芸術家と認められていますが、当時はただの職人だったということでした。そして、バッハのお墓も個人墓地ではなく、共同墓地に埋葬され、久しくどこに埋葬されたかわからなくなっていたのでした。20世紀の戦後、ライプツィッヒの街の拡大と共に墓地を移動する際に発掘が始まり、バッハの骨は特定され、聖トマス教会に改葬されたとのことでした。
 そのような職人としての生活は本当に大変なものだったようです。(残されているライプツィッヒの町の資料はバッハの納税額が下から二番目のランクだったことを告げています)
 ケーテン時代は、宮廷楽長としてまずます余裕のある生活を送っていたとのことですが、その生活を振って、教会音楽に身を捧げたのでした(これには諸説ありますが、『時代を超えたカントール』に諸説を考察した詳細が論述されています)。教会の音楽長(カントール)は、毎週日曜日の礼拝にあわせて、作曲し音楽指導をしたり、葬儀、結婚式、様々な祝祭にあわせても作曲をしたという多忙を極めた職人だったとのこと。自分の好きだから作曲するというベートーベンのような芸術家ではなかったのです。しかし、バッハのすごいところはそのような教会音楽を作り続けながら、一つとしてマンネリ化したものがないという点です。川端先生によればテレマンは結構マンネリ化し自作の盗作がかなりあるとのことでしたが、現在残っているバッハの作品およそ1800はすべて独創性があるということです(実際、バッハの作品の中は散逸したものが多数あると考えられ、本当は2800ぐらい作曲しているのでは、とのお話でした)。そして、自分が作りたくないものも作曲せざるをえなかったものもあり、しかし、そういうのは、作りたくなかったんだというのが伝わるような曲(でも決して凡庸ではありません)になっているとのこと。領主の無理難題などにも答えつつ、独創性を失っていないとのことでした。
 その他、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ・パルティータのシャコンヌには、バッハの妻マリア・バルバラ哀悼を込めてコラール「キリストは死の縄目を引き受けられた」が織り込まれている、という説なども紹介されました。
 何れにしても、バッハは聖トマス教会の教会音楽という限定された中や諸侯に仕える限定においても独創性を発揮していったということです。そして、教会を大切にしたということは、教会という共同体性も大切にしていったということでした。それは、バッハのカンタータが必ず会衆讃美のコラールと結びついていたからです。会衆が理解できる讃美と同時に、そこに自分の独自性を織り込めた、そういう自由さがあるということでした。共同体性と個人の自由というのがバッハが目指したところであり、それはバッハの信仰とも切り離されるものではないことが川端先生の説です。そして、それゆえに、現代の社会において、特に個人の自由が槍玉に上げられ全体主義的・管理的になろうとする社会にとって取り上げられるべき音楽なのだ、ということでした。
 なかなか筆舌につくせませんが、大変有意義な講演でした。

 また、午後、お弁当を食べたあと、教会オルガニストの研修会ということで、オルガニスト中心の会も川端先生を講師としてもちました。事前アンケートで各教会のオルガニストに意見や疑問点を伺って開いたのですが、最初に讃美歌の意味について伺いました。讃美歌は、個人の信仰を歌うというだけでなく、聖書に示された神を証するものであるとのこと。それは、ルター語録の「牧師は言葉によって説教し、会衆は讃美によって説教する」という言葉にも表れているとのことでした。そうした点で、日本キリスト教団の讃美歌の54年版は、個人の信仰体験が結構強調されていて、聖書を証するものとなっていなかったとのこと、また社会の中で生きる信仰者という側面が欠落していた点があるとのこと、讃美歌21は文学性を失ってしまった点はあるが、54年版よりややましであるということ、文学的には物足りなさ、未熟なものがあるが、意味が理解される点において讃美としてふさわしいものだ、とのことでした。
 また、牧師は讃美について勉強していない方が多いので、オルガニストの方が牧師を刺激してほしい、ということも言われていました。そのための方法やアイデアもいろいろとお話くださいました。
 
 そういう意味では、牧師の方々の参加が少なかったのは残念でした。
 
 しかし、私としては大変うれしく楽しいひと時でした。川端先生に改めて感謝する次第です。

 






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最終更新日  Nov 24, 2007 09:56:00 PM
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