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Jan 29, 2010
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カテゴリ:平和
1月25日から29日まで沖縄に出かけてきました。
沖縄の基地問題は日米関係の不平等がもっとも現れているところだと思います。それを肌で感じてきたい、という思いで出かけてきました。

 今回(25日~29日)は、近隣教会牧師と松本教会の姉妹との3人旅となりました。

 稲嶺進氏(辺野古の米軍基地建設反対表明)の市長当選直後の熱い空気を感じると同時に、気候だけではない本土との温度差を感じました。実際の気温は、初日が18度ぐらい、その後20度を越える暖かさもありましたが、一日だけ雨の日もありました。

 初日は松本から那覇までの移動となり、26日から沖縄の各地を巡りました。
 うるま伝道所の牧師で、琉球弧活動センターの西尾市郎牧師の案内で、じゅごんも生息する辺野古に行きました。ある方は、名護市長選で勝利したのはうれしいが、この緊張感がとけてしまいそうで怖い、といわれていましたし、政府筋の発言が、市長選の結果を重んじるどころか無視するような勢いであり、とまどいが隠せないようでした。辺野古で、『 悼画 金城祐治さん - 辺野古・「命を守る会」の根もとには - 』というDVDを買いました。以前、信濃毎日新聞にも紹介されていましたが、辺野古で座り込みの運動をされていた"おじい"の一人で大きな存在でした。こちらを参考に!
 それから、やんばるの美しい森がありながらヘリポート建設予定地の高江に行き、座り込みなどの非暴力で基地反対運動を展開している方々に出会いました。昨年もうかがったのですが、辺野古ほど注目を浴びていないだけに、今後が心配です。こちらのページを参考に!やんばる東村 高江の現状

 27日は、レンタカーを借りて、普天間飛行場に隣接された佐喜真美術館を訪れました。有名な丸木俊・位里さんの沖縄戦の図が数点常設されていて、国連出版の「世界の平和博物館」にも収録されているところです。今回が僕にとってはじめての見学になりましたが、丸木さんの絵(大きさだけでなく)に本当に圧倒されただけでなく、ドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)の版画展を見ることができたのがとてもうれしかったです。
 彼女の描く貧しい農民、織工、女性たちの手の表情が印象的でした。彼女の祖父は、ドイツの自由教会(国家教会ではない)の牧師で「才能は義務である」という言葉を彼女に残していました。その言葉どおり、自らに与えられた才能を人々のために用いた方だといえるでしょう。ドイツ農民戦争のむごさを描いたエッチングや戦争で息子をなくした女性の姿がとても印象的でした。彼女自身、息子を第一次大戦でなくし、第二次大戦では孫をなくしているのですから、なおのこと、絵や彫刻に迫力がありました。

 それから、今回は、その美術館を佐喜真道夫さんが案内してくださいました。そして、佐喜真美術館がどういういきさつで基地の土地を取り戻して建てることができたのか、伺いました。それは、次のようないきさつということでした。丁度、丸木さんご夫妻が「沖縄戦の図」を書き上げて、沖縄の公的美術館に収蔵を希望していたが所蔵する美術館が見つからなかったこと、たまたま丸木さんのマッサージ師として知り合い自分が引き取ることになったこと、それに合わせて自分の土地の契約を更新しないで返還を希望し美術館を立てようと思ったこと、一方、防衛施設局への申し出は3年間無視されていて先行きが見えなかったということ。しかし、米軍の基地関連の責任者に直接交渉したところ、そのときの担当はたまたま関心を持ってくれて、美術館museumならばOKとすぐに返事がきたということ、美術館を建てるお金がなかったけれども、たまたま宜野湾市が学校を建てるために求めていた土地として、所有していた別な土地を買い上げてもらい、建物のお金が工面できたこと、という話でした。軍の基地に隣接するにはまことにふさわしい平和を訴える美術館が、米軍の意図とは裏腹に建設できた経緯には、何か細い光でつながった道が見えた感じがしました。人の意図を超えて、しかし、振り返るとこれしかなかった、という道だったのではないかな、と思いました。
 午後は復元された首里城を見学してきました。

 28日は普天間飛行場爆音訴訟の結審の事前集会に参加しました。すでに被害は認められ補償金は支払われているものの、飛行差止めを求める人々の思いを聞いきました。また、厚木、小松、岩国など全国から爆音訴訟で戦っている人々が応援にかけつけていました。基地のあるところだけでなく、このような連帯が必要だと感じさせられました。そういう意味で、普天間基地の返還を求める人たちは、本土に基地を、と求めています。それは、本土に基地をもって行くことで、米軍基地反対運動を本土の人間が自分たちの問題として考え、全国的なものになることを期待するからです。そして、その事前集会の資料で、米軍側から普天間代替地として北海道や佐賀県を求める声もあったのですが、当時の政府はそのことを握りつぶしてしまったとのことでした。また、若い弁護士たちが手弁当でかけつけている様も希望を感じました。
 それから、対馬丸記念館にも行くつもりだったのですが、木曜日が休館日でそれは、かないませんでした。
 28日の午後は、読谷村に向かい、かつて「象のおり」と呼ばれた米軍のレーダー施設の跡地を見てきました。ここも知花昌一さんという方などを中心に基地返還運動が行われ、今は、町役場や小学校などができています。そういう土地の利用を訴えて返還が可能になったとのことでした。


 29日の午前に帰路につきました。


 今回の旅自体もとてもよかったのですが、沖縄のことをこれからも忘れないでいたいと思いつつ、このことを回りの人たちにできるだけ伝える機会を持ちたいと思いました。

 





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最終更新日  Feb 14, 2010 10:19:19 PM
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